一ノ宮神社から海善寺まで

和歌山県有田市に一ノ宮神社というのがあってそこの祭神を知りたいという依頼があったので行ってみた。地図に載っていたので割合簡単にたどり着けた。が、現地に行っても、な~んにもわからない。由緒書きらしきものは、なかった。ん、この感じは出雲系だろ…

加茂郷周辺

和歌山県海南市下津町に加茂郷というJR紀勢本線の駅がある。下津町に加茂という地名が残っているか調べたが、今はない。が、昔(と言っても昭和)は加茂村という村があったらしい。カモ氏ゆかりの地なんだろうなと地図を眺めていると加茂神社があったので目…

桜井茶臼山古墳

桜井市にある桜井、あるいは外山(とび)茶臼山古墳を探して歩いた。線路の向こう、左側にあるこんもりした所がそうだろう。線路を渡ってすぐ、琴平神社。鳥居が低い。琴平、いわゆる「こんぴらさん」は大物主を祀る。ここからすぐ北に三輪山、大神神社があ…

養翠園(ようすいえん)

紀州藩五代藩主徳川吉宗は江戸幕府第八代将軍となった。紀州藩十代藩主徳川治宝(はるとみ)は養翠園を造った。和歌山市にある。初訪問。治宝公は文化人、というイメージだけあった。本居宣長を召し抱えたのも治宝公らしい。拝観料を払って中へ。最初に見る…

伊勢の斎宮跡

今年1月、伊勢外宮や伊雑宮からの帰り、高見峠を越えて奈良に入ろうとして雪に阻まれた。4月に入って、さすがに雪はないだろうと今度は大和から高見峠を越えた。トンネルを抜けたところ。向こうが奈良県側。あそこから松阪市。ということは立ち位置は東吉…

上野廃寺跡を目指して

こちらも今年3月。和歌山市の紀の川右岸(北側)にある上野廃寺跡へ行った。数キロ離れた大型駐車場に車をとめて歩いた。ほどなく姿のいい木を発見。お地蔵さんも居る。おおよその方角だけを頼りに歩く。県道7号線(淡路街道)を横切る。なかなかディープ…

二条城

今年3月、二条城を見たいと思って京都へ行った。昼飯を食おうとウロウロしていて本能寺に出くわした。繁華街にある。当寺のホームページを拝見すると、本能寺を介して信長と天皇家、それから種子島とのつながりが書かれている。ここで昼飯を食ったわけでは…

伊雑宮

伊勢神宮は、正宮(内宮・外宮)や別宮、摂末社など全125社から成るらしい。伊雑宮(いざわのみや)は内宮の別宮のひとつで志摩市にあり志摩国一ノ宮といわれている。磯部の宮、とも呼ばれるらしい。磯部とは、外宮神職の渡会氏の旧姓でもある。静寂。そ…

伊勢・猿田彦神社

外宮から猿田彦神社へ。どうも内宮の近くにあるらしい。サルタヒコは「大神」。神位が高い。天狗のモデルになるほど容貌が異様。なぜ、女神を表す内削ぎの千木なんだろう。当神社の祝詞では「サダヒコノオオカミ」というらしい。出雲の佐太神社を思い出す。…

伊勢・外宮

伊勢・外宮の神職、渡会(わたらい)氏の祖に天村雲命がいる。「あめのむらくも」スサノオがヤマタノオロチの尻尾から取り出した剣、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同じ名称だ。この神剣は、スサノオからアマテラス、ニニギと渡り、倭姫によって伊勢…

松阪城址

1588年、キリシタン大名の蒲生氏郷(洗礼名レオン)による築城。1590年、氏郷は会津60万石に移る。1619年、南伊勢が紀州藩の藩領となってこの松阪城に城代が置かれた。野面積み。氏郷は近江の生まれで、地元の穴太衆に任せた。安土城と同様の…

和歌山街道(3)

珍布峠を越えて国道166号線に戻ってきた。しばらく歩くと道端にでっかい赤い桶があってその桶の前にあったのが水屋神社。主祭神は・・・え~っと、誰?真ん中のスサノオか、右端のアマテラスか?後でわかった。スサノオの右隣にいるアメノコヤネ。春日神…

和歌山街道(2)

道の駅、飯高駅で見つけた看板。新日本歩く道紀行100選 歴史の道和歌山街道珍布峠ウォーキングコース歩く道紀行100選?似たようなものがいっぱいあるが調べると去年(2016年)設立された「新日本歩く道紀行推進機構」というNPO法人が自治体から…

和歌山街道(1)

ちっちゃい頃から「紀州55万石」と刷り込まれてきた。それはそれで間違いないのだが、内訳があった。紀伊国約37万石、伊勢国約18万石。江戸時代の伊勢国とは今の三重県の南半分くらいだろうか。紀州藩は松阪城に城代を置いた。和歌山城と松阪城を結ぶ…

上賀茂神社

アヂスキタカヒコネという神、別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)。宗像三女神のひとりタギリヒメとオオクニヌシとの間に生まれた子で御所市の高鴨神社に祀られていて、この神社は鴨氏発祥の地とされる。出雲と葛城か・・・思考はいったんここで止まってし…

松尾大社

「延喜式」といわれる律令の施行細則は、22年をかけて927年に完成。50巻に及ぶらしい。その巻9、10が通称神名帳といわれる。そこに記載されている2861社つまり式内社が当時朝廷から重要視されていたことになる。一宮制度というのもある。その…

大徳寺

京都市北区にある大徳寺。私のような一般の参拝客は、もちろん有料駐車場。とにかく塔頭が多い。そして境内が広い。禅宗のひとつ臨済宗大徳寺派の大本山ということらしい。臨済宗は1202年、栄西の建仁寺派に始まるとされ、ここはその120年以上も後の…

安居神社と大阪城

大阪城ホールに行ったことはあったが大阪城に足を踏み入れた事はなかった。せっかくなので、安居神社に寄った。祭神は少彦名。でも誰もそんなことは気にしていない、と思う。真田丸、信繁最後の場面、佐助とふたり居た場所。あのシーンはやっぱりこの景観の…

2016年(終)片男波

2016年振り返りもダイジェストのおかげでやっと12月を載せられる。和歌浦散策。私も含めて地元民は「わかうら」というがどうもイメージしているエリアを表すのは「わかのうら」と言うのが正しいようだ。妹背山。海禅院がある。家康33回忌の折、側室…

2016年(7)ダイジェスト

このままの調子で2016年振り返りを続けていると今年中に終わりそうにないのでダイジェストにしようと、なかなかいいことを思いついた。散歩中に出くわした。宇須井原神社。和歌山市。由緒書きによると元々、宇須彦神を祀る宇須神社があった。宇須彦は、…

2016年(6)海南市

和歌山県海南市を散策。禅林寺。地元では有名らしいが、隣町の人間にはなじみがない。こういう小川に出会うと、ちょっとうれしい。聖武天皇の勅願寺だそうだ。例によって、秀吉の焼き討ちにあったようだ。高齢化の進む中、一番の悩みは「ぼけ」の心配。と書…

2016年(5)五条市

奈良県の五條市を散策。ん、五條か五条か。まあどっちでもいいか。国道24号線の脇にあっていつも素通りしていた場所。五條代官所跡。ここは、天誅組に焼き払われた後に再建された場所のようだ。五條市史跡公園として残されている。明治維新のさきがけを標…

2016年(4)機物神社・星田妙見宮ほか

大阪府交野市。物部氏のイメージがある。その交野市に七夕伝説発祥の地があるという。機物(はたもの)神社。日本で唯一「織姫」を祀る神社と紹介されている。祭神は天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)ほか。この比売が織姫らしい。元来は「秦物…

2016年(3)鴨都波神社・野口神社

奈良県は御所市。鴨都波神社と野口神社を歩いた。鴨都波神社の鳥居。式内社のようである。車は、真ん中の砂利道を避けて両側を通るようだ。事代主を祀る。事代主は大国主の子で、鴨族が信仰した神とされる。鴨族は元々出雲で、大和に来て葛城氏と仲良くなっ…

2016年(2)柴籬神社ほか

大阪府松原市の柴籬(しばがき)神社。反正天皇の丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)があったところとされている。宮跡の石碑。反正天皇は身長3メートル超の巨人。なぜそういう伝説ができたのか?背が高いうえに、ことのほか歯並びがきれいだったらしい。3…

2016年(1)等彌神社

毎年、年末に1年を振り返っている。有り体に言えば、ブログ未掲載の写真達を少しでも多く載せておこうかと、そういう感じ。でも今年は(も)未掲載が多く、今年中に終わりそうにない。まあ、ぼつぼつと。2016年2月。奈良県桜井市の等彌神社。(地図の…

越中八尾

関西で「八尾」はヤオだが、ここは「えっちゅうやつお」。おわら風の盆という言葉を見聞きすると郷愁を覚える。テレビで見ただけなのに不思議なものだ。石川さゆりさんの風の盆恋歌の影響が大きいかもしれない。いつか、9月の踊りも見たいが、その前に街並…

富山のスポット

越中一宮は4社あって、高瀬神社は最初に行った。もうひとつ、射水神社が瑞龍寺から割合近い高岡古城公園内にあるということが分かって行ってみた。前田利長が築いた高岡城。往時の建造物は何もなかった。その名の通り、公園だ。射水神社。なんともあっさり…

瑞龍寺

富山訪問の目的地は2か所に絞っていた。あとは成り行き。ガイドブックで決める。目的地のひとつ瑞龍寺。高岡市にある。車を止めるとすぐ総門が見えた。市街地にありながら突然別世界が広がる。総門に入ると国宝の山門が見えてくる。総門と山門の間は、砂利…

高瀬神社

未踏の地、富山県を訪れた。行きたいところは2か所。その他は殆ど知識がないためガイドブックを買った。そうか、黒部ダムは富山県か。五箇山もそうか。氷見も聞いたことがあるなぁ。はじめての土地だから、まずは一宮を訪れよう。越中一宮高瀬神社。南砺市…