松尾大社


延喜式」といわれる律令の施行細則は、22年をかけて
927年に完成。50巻に及ぶらしい。その巻9、10が
通称神名帳といわれる。そこに記載されている2861社
つまり式内社が当時朝廷から重要視されていたことになる。

一宮制度というのもある。その国(律令国)の第一位の神社
と定義されているが、誰がどのような基準で決めたか定かで
はないらしい。




京都市西京区にある松尾(まつのお)大社。
式内、官幣大社。神階は正一位。一宮ではない。

例によってここもまた、駐車場からは鳥居をくぐらないで入る。






観光バスは、鳥居の前に停まる。







いったん鳥居の外に出る。

1081年に「二十二社」という制度が確立したらしい。
都の鎮守神として朝廷から特別の崇敬を受けた神社群で
松尾大社はその上位、上七社のひとつ。





工事中の楼門を抜ける。絵馬がでかい。








拝殿。屋根の白いものは雪。念のため。








本殿。
祭神は、大山咋神(おおやまくい)と市杵嶋姫命(いちきしまひめ)。

失礼ながら、この祭神でなぜここまで格式が高いのか?
それは、奉斎した秦氏の存在を抜きには考えられない。

それから、ここは秦氏の氏社であるものの、祭神が秦氏
氏神とは思えない。秦氏といえば伏見稲荷大社が有名だが、
そこの祭神はウカノミタマ。どうも秦氏は祭神にはこだわ
らない様子がある。






ここの神使は亀。
市杵嶋姫➡弁天さん➡海から亀に乗ってきた
という連想からか、いや、別の説もある。

背後の松尾山の谷から不思議な亀が現れ、元号を「和銅」から「霊亀
へと改めたという言い伝えもあるらしい。






秦氏は優れた酒造技術をもっていた、ということ。








社殿背後に「亀の井」という湧水があって今も酒造家がこの水を持ち帰るらしい。
酒に混ぜると旨くなるというのではなく、腐敗しないからだという。








秦氏百済系か新羅系か。まあ、どちらにしてもそれは経由地
に過ぎないと思われる。元々は大陸から来た人々だろう。



太秦秦氏ゆかりの大酒神社というのがある。
祭神は秦始皇帝弓月君、秦酒公で、
秦氏氏神とされているが、どうだろう。

秦氏が祭神にこだわらない様子なのは
景教が関係していると思えてならない