ブログ再開

ライブドアでブログ再開することにしました。 こちら umahayahi.livedoor.blog

橋本市を散策していた(後編)

2013年5月のことだった。前編から続く。この高野街道を歩いたのではなく、横切った、のだと記憶している。よおく見ると不思議な木だ。これは印象的な建造物だった。古いお屋敷だ。これを観に来たのか?いや、違う気がする。だけど、大和街道を歩いてい…

橋本市を散策していた(前編)

2013年5月のフォルダーにあった橋本市の写真たち。当時の記事が見当たらないので文字通りお蔵入りだった。橋本市の駅周辺だと思われる。「ほんまち」だから昔も今も(?)町の中心なんだろう。どこをどう行ったかまったく覚えていない。ああ、このお店…

賀名生の里

5月。新緑の季節に、昔は何してたんだろう?とパソコンをのぞいていると、2012年5月の写真フォルダーにちょっと気になる写真を発見した。昔の写真をネタにした記事も悪くないなぁ、そう思い立って「蔵出し」というカテゴリーで眠っている写真を引っ張…

御所駅前散歩 プチ

奈良の御所(ごせ)駅前の街並みが面白そうなので訪れた。市役所から駅(JRと近鉄がある)方向に向かった。 この様な立地の神社は珍しいと思う。全国にはたくさんあるのかな? 白壁と板塀、まちがいなくカメラを向ける。 この景色、初めてなのに懐かしい。…

008全国に轟く紀州流土木工法

細々と「わかやま歴史物語」を追っかけている。ストーリー008の表題は全国に轟く紀州流土木工法!亀池と井沢弥惣兵衛の遺徳を偲ぶ亀池には昔行ったことがある。調べると2010年1月、随分と前だった。久しぶりに訪問した。ここがメインのエントランスだろ…

お寺の石柱に驚いた

欲しいものがあって、となり町のホームセンターへ行った。欲しいものはすぐ見つかった。荷物を車に置いて散歩することにした。国道24号線。 JR和歌山線が国道の下を通る。 古そうなお家の向こうにお寺がありそう。 この屋根と屋根の間にある細長い物。昔…

007築城当時は真っ黒?

わかやま歴史物語ストーリー007の表題は 築城当時は真っ黒?白亜の大天守閣和歌山城とその城下町 前回からの話を受け継ぐと、太田城の水攻めは1585年。同じ年 秀吉は弟秀長に和歌山城の築城を命じている。普請奉行は藤堂高虎。 翌1586年には但馬竹田…

006雑賀孫市の合戦の舞台をたどる

わかやま歴史物語ストーリ-006の表題は 信長に挑み続けた男・雑賀孫市(鈴木孫一)の合戦の舞台をたどる普段、戦国時代のことは積極的に調べたりしない。雑賀孫市も名前ぐらい知ってはいるが、ほぼ何も知らない。今回はいい機会だから調べてみる。いわゆる…

005紀の国の由来をたどる

ヤフーからの引っ越し族、はじめての投稿。わかやま歴史物語の005番ストーリーの表題は 紀の国の由来をたどる ~伊太祁曽神社と木祭り~紀の国の由来は伊太祁曽神社にあり!ということだろうか。和歌山電鐵貴志川線・伊太祈曽駅。 駅を出て南へ。すぐ民家…

004豪族・紀氏の墓

わかやま歴史物語ストーリー004は国内最大規模!豪族・紀氏の墓とも伝えられる「岩橋千塚古墳」へモデルコースとして紹介されているのは日前宮、岩橋千塚古墳群、鳴滝遺跡など。なお、紀氏や日前宮のことは複雑怪奇で訳が分からないので、悪しからず。日前神…

003有間皇子と藤白坂

わかやま歴史物語のストーリー003のテーマは「悲劇の皇子 有間皇子と藤白坂」海南市藤白にある藤白神社。境内の東側に駐車場があって、すぐ横の鳥居から入る。熊野古道、藤白王子跡でもある。建仁元年(1201年)に後鳥羽上皇が催された藤白王子和歌会が有名…

藤白神社でちちんぷいぷい

徳川三代将軍・徳川家光の乳母春日局は幼い家光が泣いたとき「知仁武勇は御代の御宝」 (ちじんぶゆうはごよのおんたから)と言ってあやしたらしい。 この「ちじんぶゆう」が「ちちんぷいぷい」の語源だという説がある。ちちんぷいぷい いたいのいたいの と…

002加太は修験の入口

殺風景やなぁと思いながら眺めた工事中の和歌山市駅。地元ではシエキで通じる。ちなみに和歌山駅はワエキ。南海本線とJR紀勢本線の終点駅。南海加太線の始発駅。南海が管轄していて、JR西日本の駅員はいないらしい。工事用の仮設塀にあった写真。この駅…

001神武東征

和歌山県観光振興課が発行している「わかやま歴史物語スタンプラリー100」という冊子を入手したのが昨年末だった。おぉ中々いいではないか、ということで当ブログに「わかやま歴史物語100」と題した書庫を作ったのが先月。それからひと月近くが過ぎた…

熊野古道・川辺あたり

去年の暮れだった。↓の写真にある「川辺渡し場」まで行こうとして途中で断念していた。妙に分岐点があって迷ったのと寒かったのと。川辺は「かわなべ」と読む。ちなみに市町村合併前にあった川辺町は「かわべ」と読んだ。年が明けて再挑戦。そしてこれに気づ…

2018年振り返り(終)

9月の続きから。この頃は台風の被害があちこちに見られた。いや、今でもブルーシートをよく見かける。9月泉佐野市を散策。蟻通神社。オオクニヌシを祀る。紀貫之の和歌や、枕草子にその名や縁起がでてくるそうな。かつては熊野街道沿いにあり、「蟻の熊野詣…

2018年振り返り(2)

2018年5月の写真が一枚もない。5月の出来事は、藤井7段誕生、日大アメフト事件など。個人的にも何かあった記憶がない。いい季節だというのにどこもに行かなかった、のか。6月桜井市忍阪にある舒明天皇陵。お父さんの押坂彦人大兄皇子に興味を持った。…

2018年振り返り(1)

ブログを始めた年から続いている振り返り。ここまでくると意地。続けるしかない。1月明日香村。謎の大寺と云われる川原寺跡。斉明天皇の川原宮の故地だったという説が有力らしい。泉南市にある種河神社。スサノオを祀る。スサノオを祇園天王というらしい。 …

今回の旅(終)

大宰府は福岡平野の奥まったところ。吉野ヶ里は筑紫(佐賀)平野の奥まったところ。背振山をはさむだけで、この2か所はそう遠くない。吉野ヶ里から長崎自動車道、大分自動車道で中津市に向かった。羅漢寺。岩肌にへばりつく、あるいは埋め込まれるようにし…

今回の旅(2)

旅先の宮地嶽神社で竜王戦に遭遇した。この記事を見ると第2局だったようだ。最終の第7局が今日(2018.12.20)から 下関の春帆楼で行われる。下関に行かなかったら春帆楼も知らなかった。いつにも増して結果が気になる。さて旅の続き。福岡平野にある神社を…

今回の旅(1)

邪馬台国は九州にあって九州王朝も存在した。こう考えると腑に落ちることが多いのでそう思っている。今回の旅はその北部九州をメインに旅程を考えた。ほとんど有名どころだけれど振り返ってみる。山陽道。宮島SAのスターバックス。その前方の景色。鳥居の…

大石神社と赤穂城跡

はっきり言って、いわゆる忠臣蔵は好きだ。で、赤穂にやって来た。昼食をとった店のまわりをウロウロ。このバス停をみて「えっ、くらのすけとちゃうやん!なんでやねん」とつぶやいた。標識をみると前方は、西浜工業団地、赤穂磯産業団地と書いてあった。目…

玉祖神社

山口市から南下して防府市に入った。周防国一宮、玉祖(たまのおや)神社がある。駐車場に立って、来た道を振り返る。奥に一の鳥居があり、その向こうは山陽道。三種の神器のひとつ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を造ったとされる玉祖命(たまのおやの…

瑠璃光寺

今年の旅は北部九州がメインだった。宗像大社から西へ、そして南へ、そして東へ宇佐神宮。あとは少し寄り道をしながらゆっくり帰ろう。山口市まで戻ってきた。綺麗な五重塔があるという瑠璃光寺に寄るためだった。この男性を見て、五重塔のありかがすぐ分か…

宇佐神宮

中津市から宇佐市に入った。 「USA」はアメリカだとばかり思っていたが「宇佐」もそうなんだと気付かせてくれた。すべてがでかい、と思った。駐車場から境内に入り右手を見る。鳥居があってその向こうには店が並んでいる様子。まっすぐ進むと神橋。メイン…

中津城

中津市に入った。日暮れまでに少し時間があったので中津城を見に行った。大河ドラマ「軍師官兵衛」は2014年だった。もっと前のような気がしていたがそう古くはない。官兵衛は岡田准一、はっきり覚えている。光姫は中谷美紀、あんまり覚えていない。何故…

羅漢寺

今回の旅程を考えていて一番迷ったのは平原遺跡、つまり伊都国から西の末蘆国へ行くかどうか。 行けば「呼子のイカ」も歓待してくれるだろうし・・・。 しかしながら、最終的には東を選んだ。目的地は宇佐。 吉野ヶ里から大分の中津方面へ向かう途中、羅漢寺…

吉野ヶ里遺跡

弥生時代は ・前期(BC5~BC2) ・中期(BC2~AD1) ・後期(AD1~AD3)の約700年間で吉野ヶ里ではこの全ての時期の遺構、遺物が発見されているという。その吉野ヶ里遺跡のことはテレビやネットなどで大体のイメージをつかんでいた・・…

大宰府と観世音寺

古代の地形から「記紀」の謎を解くという本を買ったのはアマゾン履歴を見ると2014年1月だった。古代史について興味深いブログがあって、数か月前から読んでいたが そのブログの主が冒頭の本の著者だと気付いたのはつい最近だった。九州二日目の朝一、大…