2017-01-01から1年間の記事一覧

2017年振り返り(後編)

2017年振り返りの後編。6月桜井市にある外山(とび)茶臼山古墳へ。近くにある宗像神社。被葬者はニギハヤヒともいわれる古墳の近くに宗像社。アマテラスつながり、と考えればありかも。和歌山の加茂郷周辺を散策。加茂神社、立神神社、福勝寺。アマテラ…

2017年振り返り(前編)

2017年、今年も来たか大晦日。パソコンに向かう時間がぐっと減った今年だが振り返りだけは載せておこう。 1月大阪城へ行った。その前に安居神社に寄った。今年は酉年だったのだ。伊勢に行った。外宮、猿田彦神社、伊雑宮(いざわのみや)を参拝。外宮の…

淡路国分寺、淳仁天皇陵、舟木石神座

おのころ島神社から数キロほどだったか、南東に行くと淡路国分寺がある。国分寺は、水害の憂いなく、交通至便で、国府に近いなどの条件を満たす場所に建てられたらしい。このお寺には、約3mの釈迦如来像がある。像背部に暦応三年(1340年)の墨書があ…

おのころ島神社

南あわじ市にある、おのころ島神社。おのころ島伝承地のひとつ。この鳥居の全容を撮ろうとしたが、あきらめた。不自然にでかい。広い平地の中にそびえていた。往古、まわりは海でここが島だったらしい。天上の神々の命によりイザナギとイザナミが天沼矛(あ…

洲本城

淡路島へ来た翌朝、洲本市の東端にある洲本城へ登った。眼下の街から、ちっちゃい天守がかろうじて見えていた。洲本港。地図を見ると大阪湾だった。そうなのか。ほぼ頂上まで車で行ける。三熊山というらしい。この手前の駐車スペースに停めた。かすかに紀淡…

銭形砂絵と加麻良神社

松山市から一気呵成に淡路へ行こうと考えていた。が、高速ばかりでは退屈で、そうだあれを見ようと高松自動車道大野原ICで降りた。それは琴弾公園というところにあった。観音寺市。寛永通宝を模した砂絵。あった。がこれではさっぱりわからない。あきらめ…

松山城と一草庵

古事記の国生み神話では、最初に生まれたのが淡路島次いで生まれたのが「伊予之二名島」、今の四国だということになっている。伊予之二名島(いよのふたなのしま)には四つの名前がついている。二名なのに四つあるのは、男女一対でひとつに数えた、などの説…

大山祇神社と村上海賊

通称「しまなみ海道」を通って次の目的地へ。途中、瀬戸田パーキングで休憩。ここは尾道市の生口島(いくちじま)という島の南端。生口島という名は、邪馬台国が魏に献じた生口(せいこう=奴隷?)をこの地に留めたから、という由来など諸説あるらしい。生…

楯筑遺跡と造山古墳(岡山県)

前方後円墳が出現しだしたのが3世紀半ば過ぎでその時期を古墳時代の始まりとした。がそれ以前からこんもりとした古墳と呼んでいい墓が造られていた。けれど、それらの墓を古墳と言ってしまうと時代区分がくずれるため墳丘墓と呼ぶらしい。倉敷市にある楯築…

岩出市の神社

和歌山県岩出市にある神社はいくつか訪れたがこのふたつの神社は知らなかった。坂本神社。右にみえる道はよく通る。まっすぐ北に抜ければ大阪府に入る。(風吹峠)ほんの少しで左に京奈和道岩出根来IC、右に根来寺。祭神はスサノオ。創立年不明。元は今宮…

一ノ宮神社から海善寺まで

和歌山県有田市に一ノ宮神社というのがあってそこの祭神を知りたいという依頼があったので行ってみた。地図に載っていたので割合簡単にたどり着けた。が、現地に行っても、な~んにもわからない。由緒書きらしきものは、なかった。ん、この感じは出雲系だろ…

加茂郷周辺

和歌山県海南市下津町に加茂郷というJR紀勢本線の駅がある。下津町に加茂という地名が残っているか調べたが、今はない。が、昔(と言っても昭和)は加茂村という村があったらしい。カモ氏ゆかりの地なんだろうなと地図を眺めていると加茂神社があったので目…

桜井茶臼山古墳

桜井市にある桜井、あるいは外山(とび)茶臼山古墳を探して歩いた。線路の向こう、左側にあるこんもりした所がそうだろう。線路を渡ってすぐ、琴平神社。鳥居が低い。琴平、いわゆる「こんぴらさん」は大物主を祀る。ここからすぐ北に三輪山、大神神社があ…

養翠園(ようすいえん)

紀州藩五代藩主徳川吉宗は江戸幕府第八代将軍となった。紀州藩十代藩主徳川治宝(はるとみ)は養翠園を造った。和歌山市にある。初訪問。治宝公は文化人、というイメージだけあった。本居宣長を召し抱えたのも治宝公らしい。拝観料を払って中へ。最初に見る…

伊勢の斎宮跡

今年1月、伊勢外宮や伊雑宮からの帰り、高見峠を越えて奈良に入ろうとして雪に阻まれた。4月に入って、さすがに雪はないだろうと今度は大和から高見峠を越えた。トンネルを抜けたところ。向こうが奈良県側。あそこから松阪市。ということは立ち位置は東吉…

上野廃寺跡を目指して

こちらも今年3月。和歌山市の紀の川右岸(北側)にある上野廃寺跡へ行った。数キロ離れた大型駐車場に車をとめて歩いた。ほどなく姿のいい木を発見。お地蔵さんも居る。おおよその方角だけを頼りに歩く。県道7号線(淡路街道)を横切る。なかなかディープ…

二条城

今年3月、二条城を見たいと思って京都へ行った。昼飯を食おうとウロウロしていて本能寺に出くわした。繁華街にある。当寺のホームページを拝見すると、本能寺を介して信長と天皇家、それから種子島とのつながりが書かれている。ここで昼飯を食ったわけでは…

伊雑宮

伊勢神宮は、正宮(内宮・外宮)や別宮、摂末社など全125社から成るらしい。伊雑宮(いざわのみや)は内宮の別宮のひとつで志摩市にあり志摩国一ノ宮といわれている。磯部の宮、とも呼ばれるらしい。磯部とは、外宮神職の渡会氏の旧姓でもある。静寂。そ…

伊勢・猿田彦神社

外宮から猿田彦神社へ。どうも内宮の近くにあるらしい。サルタヒコは「大神」。神位が高い。天狗のモデルになるほど容貌が異様。なぜ、女神を表す内削ぎの千木なんだろう。当神社の祝詞では「サダヒコノオオカミ」というらしい。出雲の佐太神社を思い出す。…

伊勢・外宮

伊勢・外宮の神職、渡会(わたらい)氏の祖に天村雲命がいる。「あめのむらくも」スサノオがヤマタノオロチの尻尾から取り出した剣、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同じ名称だ。この神剣は、スサノオからアマテラス、ニニギと渡り、倭姫によって伊勢…

松阪城址

1588年、キリシタン大名の蒲生氏郷(洗礼名レオン)による築城。1590年、氏郷は会津60万石に移る。1619年、南伊勢が紀州藩の藩領となってこの松阪城に城代が置かれた。野面積み。氏郷は近江の生まれで、地元の穴太衆に任せた。安土城と同様の…

和歌山街道(3)

珍布峠を越えて国道166号線に戻ってきた。しばらく歩くと道端にでっかい赤い桶があってその桶の前にあったのが水屋神社。主祭神は・・・え~っと、誰?真ん中のスサノオか、右端のアマテラスか?後でわかった。スサノオの右隣にいるアメノコヤネ。春日神…

和歌山街道(2)

道の駅、飯高駅で見つけた看板。新日本歩く道紀行100選 歴史の道和歌山街道珍布峠ウォーキングコース歩く道紀行100選?似たようなものがいっぱいあるが調べると去年(2016年)設立された「新日本歩く道紀行推進機構」というNPO法人が自治体から…

和歌山街道(1)

ちっちゃい頃から「紀州55万石」と刷り込まれてきた。それはそれで間違いないのだが、内訳があった。紀伊国約37万石、伊勢国約18万石。江戸時代の伊勢国とは今の三重県の南半分くらいだろうか。紀州藩は松阪城に城代を置いた。和歌山城と松阪城を結ぶ…

上賀茂神社

アヂスキタカヒコネという神、別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)。宗像三女神のひとりタギリヒメとオオクニヌシとの間に生まれた子で御所市の高鴨神社に祀られていて、この神社は鴨氏発祥の地とされる。出雲と葛城か・・・思考はいったんここで止まってし…

松尾大社

「延喜式」といわれる律令の施行細則は、22年をかけて927年に完成。50巻に及ぶらしい。その巻9、10が通称神名帳といわれる。そこに記載されている2861社つまり式内社が当時朝廷から重要視されていたことになる。一宮制度というのもある。その…

大徳寺

京都市北区にある大徳寺。私のような一般の参拝客は、もちろん有料駐車場。とにかく塔頭が多い。そして境内が広い。禅宗のひとつ臨済宗大徳寺派の大本山ということらしい。臨済宗は1202年、栄西の建仁寺派に始まるとされ、ここはその120年以上も後の…

安居神社と大阪城

大阪城ホールに行ったことはあったが大阪城に足を踏み入れた事はなかった。せっかくなので、安居神社に寄った。祭神は少彦名。でも誰もそんなことは気にしていない、と思う。真田丸、信繁最後の場面、佐助とふたり居た場所。あのシーンはやっぱりこの景観の…

2016年(終)片男波

2016年振り返りもダイジェストのおかげでやっと12月を載せられる。和歌浦散策。私も含めて地元民は「わかうら」というがどうもイメージしているエリアを表すのは「わかのうら」と言うのが正しいようだ。妹背山。海禅院がある。家康33回忌の折、側室…

2016年(7)ダイジェスト

このままの調子で2016年振り返りを続けていると今年中に終わりそうにないのでダイジェストにしようと、なかなかいいことを思いついた。散歩中に出くわした。宇須井原神社。和歌山市。由緒書きによると元々、宇須彦神を祀る宇須神社があった。宇須彦は、…