養翠園(ようすいえん)


紀州藩五代藩主徳川吉宗江戸幕府第八代将軍となった。
紀州藩十代藩主徳川治宝(はるとみ)は養翠園を造った。



和歌山市にある。初訪問。







治宝公は文化人、というイメージだけあった。

本居宣長を召し抱えたのも治宝公らしい。





拝観料を払って中へ。最初に見る風景。







訪問は5月半ば。







海水を引き込んだ「汐入り」といわれる池があるはず。







三ツ橋、というらしい。






太鼓橋。

庭の手入れをしている人だった。客は私ひとりだった。





守護神を祀る社。






三ツ橋を渡る。





太鼓橋も渡る。







ここが海水を引き入れている所だろう、と思えた。






もう少し大きくなると、突っ張り棒が要るかな。







養翠亭。

ここからは殿様の御座所だけが見えるだけで
建坪94坪あるらし。奥深い、ということか。





殿様は船で来たんだ。







ちょっと狭いような。小舟だな。






庭園を一周して、門を出たところにある湊御殿。
養翠園とは別の施設で、おそらく無料で入れる。

元々は、紀州藩二代藩主徳川光貞(吉宗の父)の隠居所だった建物で
明治期にここへ移築したらしい。



徳川治宝は、古事記伝本居宣長)の題字を書き
表千家を庇護し、三井家(紀州藩領松阪がルーツ)
と深くつながり、和歌浦の不老橋を作った、
そういう人だったらしい。

1853年(ペリー来航)81歳で薨去
墓所はもちろん長保寺にある。