一ノ宮神社から海善寺まで


和歌山県有田市に一ノ宮神社というのがあって
そこの祭神を知りたいという依頼があったので
行ってみた。

地図に載っていたので割合簡単にたどり着けた。
が、現地に行っても、な~んにもわからない。






由緒書きらしきものは、なかった。






ん、この感じは出雲系だろうか。

ここからそう遠くないところに須佐神社がある。
依頼人の話では、オオクニヌシだと言う人がいる
ということらしいから、まあ、そうなのだろう。





一ノ宮神社の近くに神光寺というお寺があるとも
聞いていたので、寄った。







この一帯は、明恵上人ゆかりの地だ。







今の住職さんが、荒廃した境内や墓地を整備されているらしい。

確かに建物は新しい。再興への熱意が伝わってくる。





地図を見ていると近くに「天照皇大神宮」とあったので探した。






これが全景、なのだろうか。





一ノ宮神社のことを調べようと、市立図書館へ行った。
様子がおかしいなと思ったら長期閉館中だと分かった。


さあ帰るか。

またまた地図を眺めながら今まで通ったことのない道を選んだ。
途中、宮原神社の看板につられて寄った。






ほお、立派な社殿。






そして、眺めもいい。







由緒書きによると、応神、神功、宗像三神を祀るとあった。







面白いものがあった。

「粥占いとは1月15日に粥を炊くとき竹の筒を入れ
その穴に入った小豆の数で農作物の一年の農凶を占う神事」
と書いてあった。下の数字は豆の数か?多いほどいいのか?




本殿左にある太刀宮(たちのみや)。猿田彦を祀るとあった。






が、猿田彦よりこの由緒書きの物語が興味を引いた。







この絵もインパクトがあった。






おもちゃの刀。本物なら問題だ。

ここにペーパーが置いてあった。
宮崎定直のこと。それから李真栄、梅渓のことを書いてあった。

李真栄は、秀吉の朝鮮出兵の折、捕虜として日本へ来た。
真栄は才学の取り持つ縁で宮崎定直の娘蘭と結婚そして
梅渓が誕生する・・・




真栄のお墓が和歌山市の海善寺にあると書いてあったので行った。







境内の中に幼稚園があって、迎えの時間に遭遇。
門が閉じられていて、もう少し待てと言われた。
「いや、迎えじゃなくてお寺に来た」というと
どうぞ、と入れてくれた。







真栄と蘭の長男、梅渓は「父母状」で有名。







会津に、「ならぬことはならぬもの」で有名な「什の掟」がある。
父母状は、その紀州版とも言えなくもない。







太刀宮にあったペーパーによると
真栄は紀州初代藩主徳川頼宜に教授し、その死後、
長子梅渓が17才で父の職に就いた、とある。


ん?黒岩重吾
有田の一ノ宮神社に行かなければ、こんな場所に
黒岩重吾のお墓があるなんて知りもしなかった。

なんとも・・・。