2016年(1)等彌神社


毎年、年末に1年を振り返っている。有り体に言えば、
ブログ未掲載の写真達を少しでも多く載せておこうか
と、そういう感じ。

でも今年は(も)未掲載が多く、今年中に終わりそうにない。
まあ、ぼつぼつと。



2016年2月。奈良県桜井市の等彌神社。(地図のGマーク)
北東に「大和朝倉」という駅が見える。
もちろん、その元祖は福岡県朝倉市だと私は思っている。







等彌(トミ)神社は鳥見(トミ)山の麓にある。







この辺りは、登美毘古(トミビコ)つまり長髄彦の本拠地だったようで
神武に奪われた。






左下に「桜井字能登1178番地」とある。
そして「能登宮」とも書かれている。気になる。






主祭神は「大日孁貴尊」。アマテラスとは書いていない。







元々は、饒速日を祀っていた、という説は当然と思われる。







上ッ尾社拝殿。本殿と思われる。






神武が即位し、史上初の大嘗祭が行われたのがこの辺りらしい。
そしてこの地に皇祖神を祀り大孝を祈った、とされる。
「大孝」とは、この上もない孝行という意味らしい。







明治に入るまでは、能登宮と呼ばれていたという。
ナガスネヒコニギハヤヒの時代から、どういう変遷を経たのだろう。







このあたりが鳥見山への登り口だったと記憶している。
少し上ったが、途中で引き返した。







鳥居の裏にあった「柳生家」の文字。







一の鳥居の横にひっそりとあった市杵嶋姫を祀る祠。



この神社の背景は盛りだくさんすぎて、咀嚼できない。

意外に、ひょっとすると
朝倉と能登(九州と北陸)が謎を解く鍵だったりして。