上野廃寺跡を目指して
こちらも今年3月。
数キロ離れた大型駐車場に車をとめて歩いた。
ほどなく姿のいい木を発見。お地蔵さんも居る。
おおよその方角だけを頼りに歩く。
県道7号線(淡路街道)を横切る。
なかなかディープな一画だ。
そうか、熊野古道だったか。
手前は阪和線、その上が阪和道、一番上が京奈和道。
軽トラが通って行った。普通車は?
梅?桜?
ここは、道路兼駐車場。
やっと目標地点に到着。上野廃寺跡はこの寺に隣接している。
上にある看板は「薬師寺霊苑」とある。
看板を見つけた。
この寺は7世紀後半の創建で、東西に塔をもつ薬師寺式伽藍配置だったらしい。
また、金銅製の風鐸や法隆寺の瓦に影響を受けた瓦などが出土。
右下の瓦は「パルメット文隅木蓋瓦」(パルメットもん・すみき・ふたがわら)
入口を探したが見つからず。この木立の向こうが跡地のはず。
根性が足らんな、と思いながら帰路につく。
向こうに見える集落まで歩く。
うん?ここも熊野古道だったか。
あの木が見えてきた。
話は変わるが、このあたりから紀ノ川を下ると
大規模倉庫群が見つかった鳴滝遺跡(5世紀前半)
馬冑が出土した大谷古墳(5世紀後半)
金製勾玉が出土した車駕之古址古墳(5世紀後半)
などがある。
少なくとも5世紀頃まで紀ノ川は
ヤマトへの入口、渡来文化の入口だった証と思われる。