伊勢の斎宮跡



今年1月、伊勢外宮や伊雑宮からの帰り、
高見峠を越えて奈良に入ろうとして雪に阻まれた。

4月に入って、さすがに雪はないだろうと
今度は大和から高見峠を越えた。



トンネルを抜けたところ。向こうが奈良県側。







あそこから松阪市。ということは立ち位置は東吉野村か。







峠越えが目的だったが、せっかくなので斎宮跡へ行った。

発掘調査は昭和に入ってからのようで、建物が復元されている。





ガイド(ボランティア?)の方が数名おられた。







想像を超えた広さ。







そしてここにも(平城京にも)近鉄が通っている。







この一帯は役所跡のようだ。

ちなみに、掃部寮(かにもりのつかさ)とは
宮中行事の設営や殿中の清掃を行う機関だったらしい。




十分の一模型群。

人が映ってると規模感がわかるのだが、残念。





模型の内部。こう撮ると本物に見える。







西の方に斎宮歴史博物館があるようなので行ってみる。






これはおそらく古代伊勢道。発掘調査によって忠実に復元している筈。

なんとも雅な道幅。




奥に博物館。この一帯も広い。







入口手前にあった古墳。西暦500年前後らしい。
方墳で、確かに人が造ったというリアリティのある大きさ。

斎王は、崇神期のトヨスキイリヒメ、垂仁期のヤマトヒメ
に始まるとされるが、これらは「伝承時代の斎王」というらしい。

制度として確立したのは天武期の「大来(おおく)」斎王から。
ということは、この古墳(群)は伝承時代のもの。
いったいどういう背景をもった古墳群なのだろう。







帰り道、道路沿いに歌碑が並んでいた。







やっぱり広い。

なぜ、これだけの規模のものを作ったのか?
調べてみたが、「軍事」のにおいはしない。






斎王の森。

南北朝時代後醍醐天皇期を最後に斎王は途絶えた。
天武期からでも700年近く続いたことになる。

その後、斎宮は姿を消して「幻の宮」となったが
この森のあたりに宮殿があったと伝えられてきたらしい。