2014-01-01から1年間の記事一覧

2014年振り返り

今年もあと一日。高齢の、いや恒例の振り返り。1月 そういえば、STAP騒動の始まりだった。奈良の大和(おおやまと)神社。ニギハヤヒを祀る。2月 関東・甲信地方で大雪。甲府市で114センチ積もった。京都の石清水八幡宮。めずらしく、お祈りをした。3…

山陰旅8(佐太神社)

いうまでもなく、今回の旅も大体の行き先は決めていた。神社は、由緒と祭神で選んだ。が、ここ佐太(さだ)神社だけは建物で決めた。大社造りの本殿が3つ横に広く配された姿を見たかった。「わっちゃ~」この位置から工事中の素屋根が見えた。事前に調べて…

山陰旅7(六所神社)

神魂神社のあと、六所神社に行きました。途中、真名井神社前に迷い込んで、寄るかどうか少し思案したが初心貫徹、六所神社に向かった。六所神社は出雲国府跡に隣接している。車はここに停めた。出雲平野は広い。国府が造られたのは、700年代に入る少し前…

山陰旅6(神魂神社)

須我神社の奥宮行きを断念して、神魂(かもす)神社に来た。ここは・・・ひとことで言うと・・・「日向と出雲」かな。オオクニヌシに国譲りを迫りにきたけれど、オオクニヌシに心酔しこの地に住み着いてしまったというアメノホヒが建てたと伝わる。イザナミ…

山陰旅5(須我神社)

熊野大社でいい汗をかいた後は、神魂神社に行くつもりでした。が、快走路を走っていて須我神社の標識を見て、寄ってみました。それにしても、出雲の道は走りやすい。ところどころ少しのアップダウンはあるが、信号がない。片側一車線の贅沢な道が交差すると…

山陰旅4(熊野大社)

神々を見送って万九千神社を発って熊野大社に来た。よくはわからないが、出雲大社とともに出雲国一宮ということである。紀州人にとって熊野といえば世界遺産の熊野古道と熊野三山。ここ出雲の熊野と、紀州の熊野とはどういう関係なのか?あるいは無関係なの…

山陰旅3(万九千神社)

山陰旅1日目の昨夜、立ち寄った居酒屋のマスターと話ができた。出雲国造家は今でも雲上人であるということが実感を伴って伝わってきた。山陰旅2日目の最初は万九千(まんくせん、或いは、まくせ)神社です。万九千という名称は、巻瀬川が由来らしいという…

山陰旅2(稲佐の浜・日御碕神社)

荒神谷遺跡から稲佐の浜に向かった。止むだろうと思っていた雨はしとしと続いていた。稲佐の浜。アマテラスの命を受けたタケミカヅチがオオクニヌシに国譲りを迫ったとされる場所である。出雲大社を背後に感じ、この弁天島が屹立しているのを見なければ、ご…

山陰旅1(荒神谷遺跡)

むかし、母親が語ってくれたのか、あるいは絵本をながめていたのか。幼い頃、無意識の領域に宿ったままの「イナバの白兎」や「天岩戸」が50数年を経て突如として意識の領域に蘇った。2年ほど前の事。あの得体のしれない物語は何だったのか、その一点で私…

向日神社

京都山科にある日向大神宮に行こうと思って車に乗った。途中、軟弱にもちょっと遠いなぁと考えだして結局、向日市にある向日神社に行った。今年2月のこと。日向(ひむか)には向かわず、向日(むこう)へ行ったのである。境内からみた参道。拝殿。この神社…

矢田寺

大和郡山市の矢田寺。ゆるやかに登ってゆく参道前にはいくつもの有料駐車場がある。季節外れのためか無料開放状態。道の真中に柿ひとつ。歩いているときは気づかなかった。山門には「金剛山寺」とある。おお、歩き応えのありそうな石段が見える。ほぼ直線の…

延命寺

河内長野市。延命寺。820年頃、空海の開基と伝わる。山門前にある石碑。「楠氏一門和田正遠之菩提所」。和田正遠はいったん楠木氏の家系を継いだ。正遠は、楠木正成の父、叔父、甥など諸説あってわからない。が、湊川の戦いで討ち死にしたことは確からし…

松尾寺

昭和天皇実録は24年5ヶ月をかけた。日本書紀は約40年といわれている。比較してもはじまらないが、どちらも大変な労力である。 天武天皇の皇子である舎人親王が自らの厄除け(42歳)と日本書紀の完成を祈願して創建されたという松尾寺。 北総門。 北…

府守神社(聖天宮)

空は秋、地は夏。日傘のお世話になりました。 弥生時代にはなかったスグレものが、稲を刈り取っていきます。 府守神社。地元では聖天宮で通っている。 境内で子供が遊んでいる。平成の世では珍しい。 紀伊国総社という説あり。和歌山市府中にある府守神社。…

海南市へ

気になる場所やモノなどを書き留めているB6版ノートをぺらぺらめくった結果、海南市にやって来ました。 伊勢部柿本神社おそらく「伊勢部」という文字に反応して書き留めたのだと思います。JR紀勢本線の高架と隣接して鳥居がありました。 そういえば最近…

玉垣勾頓宮

刺田比古神社に行った折(ではなく、刺田比古神社を調べていて)聖武天皇の頓宮が紀ノ川沿いにいくつかあることを知ってそのひとつを訪ねました。 昨日からの雨は止む気配がありません。カンカン照りよりはマシなので濡れ覚悟で行きました。 近くの市立図書…

刺田比古神社

和歌山城の岡口門を出て、三年坂を横切ったあたりにこの石碑が立っている。 後ろには岡公園が見える。 石碑をすぎ、岡公園に沿ってまっすぐ南へ。突き当たりを右に折れ、すぐさま左に曲がると刺田比古(さすたひこ)神社に着く。 式内社。 鳥居をくぐった処…

交野天神社

交野天神社、畏まっては、かたのあまつかみのやしろ、と呼ぶらしい。雨の中、住宅街に迷い込んでしまい、見かけたおばさんに道を尋ねた。あまつかみのやしろとは言いづらいので「あま神社は・・・」と言いかけると「ああ、かたの神社はね・・・」と答えが返…

亥の森

亥の森(いのもり)というのは、伊太祁曽神社が、現在の日前宮の地から遷座した(させられた?)最初の地らしいのです。写真は伊太祈曽神社の参道です。向かって右に本殿があります。亥の森はこの道のやや奥を左に入って行きます。 伊太祈曽神社のご祭神は、…

唐招提寺

ここも去年の訪問です。平成25年11月。 唐招提寺です。好きなお寺です。だまって見つめることにします。 こんな紅葉だったんだなと驚くばかりです。

応神天皇陵と誉田八幡宮

去年のネタです。(平成25年9月)考古学名で誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)というらしいが俗に応神天皇陵と呼ばれている。羽曳野市です。宮内庁の看板にある陵名は、惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)となっている。ややこし…

濱宮

元伊勢のひとつとされる濱宮。和歌山市と海南市の境目にあります。歩道橋から、名草山を望んでいます。 海岸(マリーナシティ)にほど近い、住宅街にありました。 由緒書きによると、豊鍬入姫命(とよすきいりびめ)がこの地に来たのはBC47年となってい…

さくら、かな

今日は午後から雨らしいということだったのでそれじゃ雨がふる前に今年の桜を撮らなくてはと思って散歩に出ました。なんで、桜を撮りたくなるんでしょうね。 これは、桃ですかね。 たま電車は今日お休みだったようです。 やたらでかい案山子ですね。季節的に…

石清水八幡宮

京都の南西、男山という小高い山上にある石清水八幡宮。カーナビのおっしゃるとおり進むと住宅街の細い山道。所々標識があるので間違いではないにしてももう少し太くて通りやすい道があるのではないか、バスの団体さんは無理ではないか、などと思いながら進…

大歳神社

目的地近くの道幅がどれくらいあるのか、駐車場があるのかないのか。車で行くかどうかは、この2点の確認に拠ります。どちらも不明だったので自転車で行きました。大歳神社というところです。鳥居右前の石碑には「大歳宮」とありました。 鳥居の額は「大歳神…

大和神社

ナビで「ヤマトジンジャ」と探しても、ない。ネットで調べると「オオヤマトジンジャ」と分かった。一の鳥居をくぐるとすぐ左手に駐車場があった。長い参道だ。 二の鳥居。ここは、朝廷がつけた社格「二十二社」のうち「中七社」のひとつである。 境内。祭神…

徳勒津宮を探して散歩

仲哀天皇は徳勒津宮(トクロツノミヤ)から九州に旅だったという話がある。その宮跡を探す散歩に出た。 散歩しているといろんな発見がある。面白い名前をつけたもんだ。 しばらく川沿いを歩く。のどかでいい住宅街だけれど、川の水が、美しくない。 美しくな…

ヤマトタケル

ヤマトタケルは、古代史にあって結構な有名人です。仲哀天皇の父、ということは応神天皇の祖父ということになります。古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と書かれていてストーリーも記紀では相当に異なるようです。 ヤマトタケルは死して白鳥に…