和歌山街道(1)


ちっちゃい頃から「紀州55万石」と刷り込まれてきた。
それはそれで間違いないのだが、内訳があった。紀伊国
約37万石、伊勢国約18万石。江戸時代の伊勢国とは
今の三重県南半分くらいだろうか。

紀州藩は松阪城に城代を置いた。和歌山城と松阪城を結
街道があり、三重県側を和歌山街道と呼ぶらしい。現在の
国道166号線。1600年代、紀州藩の参勤交代はこの
街道を使ったという。





看板の上に列車のホームがあってもおかしくない光景。
だけど、道の駅。







「さくら」と読むのかなと思ったが、そのまんま「ちゃくら」。
この道の駅は、和歌山街道と伊勢本街道の分岐点にあるようだ。







普通、道の駅は道路沿いにある。
国道からそれて、高台に入り込むような道の駅は初めてだった。
眼下に櫛田川。倭姫が櫛を落としたという伝説が名前の由来とか。







ただの通りすがりだったが道の駅で情報を仕入れると、
近くに日本最古の土偶が見つかった遺跡があるという。
標識どおり細い道をくねくね行くと駐車場があった。







駐車場から100m歩く途中。
雪に覆われているのは茶畑。茶倉とはそういうことか、と納得。







粥見井尻(かゆみいじり)遺跡。

何もなければ盛土で道を造ったのだろうが
遺跡が見つかったのでその部分は橋にした。





小さくて、造形もよくは分からない。
約12000年~9000年くらい前の
縄文時代草創期と呼ばれる時代のものらしい。







ここで見つかった石鏃(せきぞく)はサヌカイトで
大和二上山で採取されたという説が有力のようだ。








遺跡から西に向かった。


道の駅。こちらは道路沿いにある。
ここで昼飯を食ったあと、また発見があった。
つづく。