2015-01-01から1年間の記事一覧

2015年(20)島本・大山崎

12月。振り返りもいよいよ最終。地図を眺めていて、おやっと思い、探した。和歌山市にある栄谷諏訪神社。これが全貌。たしかに鰹木が見える。昔この地に諏訪神社があった。けれど明治43年に廃された。昭和57年、ある人が私財を投じて再建、信濃諏訪大社本…

2015年(19)和歌山・貝塚・根来・かつらぎ

11月後半。和歌山市にある高橋神社。奥に見える小高い山は、岩橋千塚古墳群のある山。とすれば、やはり紀氏の土地。そこにニギハヤヒを祀っていた。大阪の貝塚市へ行った。阿理莫神社(ありまかじんじゃ)。由緒書きによると古代にこの地域を支配した氏族…

2015年(18)淡路島

11月。生シラス丼に惹かれて淡路島へ行った。淡路から神戸を望む。うまい丼を食った後、せっかくなので島内散策。石屋神社(いわやじんじゃ)。明石海峡大橋を渡ってほどなくの所にあった。祭神は、クニトコタチ、イザナギ、イザナミ。国生み伝説の残ると…

2015年(17)八尾・紀の川

10月の末、長野へ行きました。そのことは、長野旅として載せているので割愛しますが1枚だけ写真を載せます。長野駅前にあるホテルから見た朝の風景です。昔、長野市には出張で何度か訪れています。このホテルのロビーに入った瞬間、あれっ「ここに来たこ…

2015年(16)岸和田・泉南・岬・御所

10月後半。前にも行った波太神社の秋祭りに遭遇。久しぶりに見る屋台風景。拝殿前にある石灯篭。慶長5年、1600年。岸和田市にある久米田寺。水が乏しかったこの地に、聖武天皇が行基に命じて池を造らせたとある。725年から14年間の工事。その池を維持管理…

2015年(15)明日香・富田林・高野山

10月。和歌山市にある鳴神貝塚。昔、この道を毎日通っていたが立ち入ったことがなかった。7千年前、和歌山市の中心地はほぼ海中か。立ち入ったが、何もわからなかった。明日香へ行った。ここが目的地ではありません。石舞台から数分歩くと都塚古墳がある…

2015年(14)生石・御所・岩内・滝畑

9月。壷阪寺へ初めて行った。藤原京、持統天皇とつながるお寺。羽曳野市を散策。応神天皇陵。神の字をもつ神武、崇神、応神の3天皇。応神天皇は、九州からヤマトへ入ったという点で神武に似る。一方、神武=崇神説も根強いしなぁ。やっぱり神功皇后は何者…

2015年(13)田原本町・広陵町・橿原

8月。奈良の田原本町へ行った。多神社。この辺りが多氏(おおうじ)の拠点でありその祖、神八井耳命(かんやいみみのみこと)などを祀る。多氏の後裔は全国に散らばり、科野国造もそのひとつです。鏡作神社。八咫鏡を造った石凝姥命(いしこりどめのみこと…

2015年(12)丹波・天満

7月。夏の甲子園、地方大会を観に行った。県営紀三井寺球場。今年は100周年で第97回大会だった。回数に数えられない、悲しい中止があったのです。やっぱり生はよかった。護衛艦あけぼの、というのを見に行った。和歌山港。どっかのおじさんが「この大砲はど…

2015年(11)広川・奈良の古墳

7月。和歌山県の広川町。JR紀勢本線の「広川ビーチ」という駅です。この駅からビーチは見えません。山の向こうがビーチのようです。駅前にあった忘れ物。広八幡神社です。欽明天皇の頃に創建されたと伝わります。全国の八幡さんは4万社を超えるという。…

2015年(10)岩橋古墳・岩出・隅田

6月なかば。大阪の泉南市にある海会寺跡です。壬申の乱があった7世紀後半の創建畿内の南端を示す位置に建てられたという説が有力なようです。▲講堂跡。ちなみに当時、わがふるさと和歌山は畿内ではなく南海道でありました。よく「近畿のおまけ」などと言わ…

2015年(9)和歌山・海南・波太神社

6月はじめ。和歌山市内のとあるお寺を探しながらバイクで走っていて、途中、住宅街にある木立に例のごとく吸い寄せられたのです。伊久比売神社。イクヒメ?知らん。由緒書きを探したけれど見つからなかった。しばらくウロウロしていると、声をかけられた。…

2015年(8)和歌山市・高野・當麻

5月。和歌山城の南、三年坂通りを挟む小高い丘に岡山の寺鐘堂と呼ばれる建物があります。その丘からお城を見るとこんな感じです。紀州徳川第五代藩主、吉宗の時代に設置されたとあります。梵鐘は、大阪夏の陣で豊臣が使用していた大砲をのちに改鋳したもの…

2015年(7)京の伊勢・光明寺・鞆渕

5月のゴールデンウィークでした。京都山科にある日向大神宮。公式サイトには「第23代顕宗天皇の御代に筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建」と記されています。「京の伊勢」とも呼ばれています。「小京都」など、京は主役のことが多いのですがここは、…

2015年(6)吉野・九度山

5月のはじめ。奈良の吉野へ行きました。まず宮滝というところです。吉野歴史資料館をのんびり見て回ったあと歩き始めました。宮滝というところは、神武天皇がヤマト入りの直前に仮宮を造ったところ、そして大海人皇子の離宮があったところ、そんなイメージ…

2015年(5)岸和田・海南

5月。岸和田城に初めて行きました。近くに岸城神社(きしき)というのがあって寄りました。岸和田城総鎮守、岸和田祭発祥の宮。地元では超有名な神社のようです。天照大御神が元岸和田村氏神とはどういうことなのでしょう。お隣にある戎神社。小ぶりだけれ…

2015年(4)熊野

4月の後半、ゴールデンウィークに近いころ熊野に行きました。一応、青岸渡寺の御朱印が目的でした。目的とは裏腹に、一番行きたかったのはここ神倉神社でした。高倉下(タカクラジ)を祀っていると思われます。今は石上神宮に祀られている霊剣布都御魂を神…

2015年(3)今城塚・明日香・天野

4月。ご近所散歩。きいちゃん電車。紀の国わかやま国体のシンボルでした。国体の終わった今でも走っています。日前宮。雨でした。日前大神(ひのくまのおおかみ)を祀るとされているけれど私には、その正体は分かりません。千木や鰹木を見れば男神。配神は…

2015年(2)烏帽子形

3月。河内長野市にある烏帽子形公園。城跡や神社があるということで行った記憶がある。整備されている。雨降りの翌日だったようです。城跡がありました。楠正成です。本丸跡にあった石碑。城にこういう石碑は珍しいと思います。右は、ウマシアシカビヒコヂ…

2015年(1)伊太祈曽・根来

今年は未整理の写真が多いので何回かに分けようと思っています。2015年1月2日です。かつらぎ町あたり。雪が見えます。どうも知らぬ間にカメラの設定が意図しないものになっていたようです。でもまあ、これはこれで面白い。1月4日。伊太祁曽神社。も…

壷阪寺

平成27年9月のこと。明日香村や高取町には何度も足を運んでいるけれど実は、壷阪寺には行ったことがなかったのでした。何故か?それは、「壺阪寺イコール大きな石仏」というイメージしかなかったからです。でも、そのイメージとは違う姿を知ったので行き…

長野旅(終)

長野旅のブログもこれでおしまい。行ったところをなぞります。永保寺どうしても見たくて多治見市に寄った。四柱神社四柱神社から松本城に向かう道沿いにあった古本屋さん。松本城天守と、そのまわりの景色との相性がいい。兎川寺(とせんじ)聖徳太子の創建…

長野旅(10)守屋神社

諏訪大社の4社を回り、訪問予定先はクリアした。さて、帰りの道順を決めようと地図を眺めていて「高遠」という文字を見つけた。なんか、見覚え聞き覚えのある所だし、このまま中央道に乗っかるのも味気ないし、と思いナビに「高遠城址」を設定した。茅野市…

長野旅(9)諏訪大社上社

諏訪大社上社、本宮(ほんみや)と前宮(まえみや)。名前からすれば本宮がトリだろうと軽く思って先ず前宮に行った。国道沿いに新しそうな白い石鳥居が立っていた。内心、あまり期待できないかと思いながら鳥居をくぐった。その瞬間、いやここは違うぞ、も…

長野旅(8)諏訪大社下社

長野旅3日目の夕方、上田から諏訪に入った。明日は、朝から諏訪大社を巡って帰る予定だ。さて、どういう順番で回ろうか、決めていなかった。帰りの道順で考えると、北にある下社から南の上社に行くのがいいだろう。で、下社を回る順番は?夜、情報を得た。 …

長野旅(7)上田城

善光寺と戸隠神社を見た。次は最終目的地の諏訪に向かう。途中、おそらくは来年注目されるであろう上田城に寄った。いくら視聴率が低くても、大河は欠かさず見ている人間だ。真田昌幸が天正11年(1583年)、築城に着手したとある。真田が仕えていた武…

長野旅(6)戸隠

馬券を買うときはまず穴馬を探す。旅に出るときも必ず穴場を探す。前回書いた「会津比売神社」を見逃していたのは穴狙いとしては痛恨の極み。あと一歩で万馬券をとり逃した悔しさが残る。今回の旅を振り返ると、ガチガチ本命狙いの様相となってしまった。ま…

長野旅(5)善光寺

昨夜は長野市内に泊まった。朝一で善光寺に行く予定だ。その前に、昨日訪れた森将軍塚古墳のことが少し分かってきた。被葬者は健五百健命(タケイオタツノミコト)だというのが通説らしい。この命は神武の子、神八井耳(カムヤイミミ)の孫かその後で崇神あ…

長野旅(4)川中島

森将軍塚古墳を離れ、遅い昼飯を食い(やっぱり蕎麦がうまい)長野市に入った。地図には「八幡原史跡公園」と記されている。平たく言えば、川中島古戦場跡。川中島の戦いは5回あったというのが定説でここ八幡原の戦い(第4次)が一番大規模で壮絶であった…

長野旅(3)森将軍塚古墳

松本市から長野道を北上して、長野市方面に向かいます。ここは、たしか梓川SAからの眺めだったと思います。向こうに見えるのは、3千m級の山々らしいがどうも、そんな風には見えない。だから逆に、この道の標高の高さを知らされる。森将軍塚古墳を見に行…