伊雑宮


伊勢神宮は、正宮(内宮・外宮)や別宮、摂末社など
全125社から成るらしい。伊雑宮(いざわのみや)
は内宮の別宮のひとつで志摩市にあり志摩国一ノ宮
といわれている。



磯部の宮、とも呼ばれるらしい。
磯部とは、外宮神職の渡会氏の旧姓でもある。






静寂。そして、この綺麗さに驚く。







巾着楠というらしい。








先客がふたり居た。金髪のおにいちゃんと女性。

むかし奈良の檜原神社に行ったときのことを思い出した。
若い男女3人が祝詞を唱えていて圧倒されたことがある。
近頃の若いもんは・・・大したもんだ。





伊雑宮は内宮よりも格上で
遷宮も内宮より早かったという言い伝えがあるらしい。







たしかに本宮とは言わず、内宮・外宮という。
この伊雑宮が本宮だという説をよく見かける。








倭姫がアマテラスを祀ったのはここですよ、
そういう意味の本宮なのだろう。








宮を出て少し歩いた。

御師。伊勢では「おんし」というらしい。
全国の人々を神宮に導いた立役者という。





出た、セーマンドーマン。

安倍晴明やそのライバル芦屋道満の頃かららしいので古代ではない。






予期しないところにたどり着いた。








ここにある「伊佐波登美命(イザワトミノミコト)」とは?

イザワは伊雑か。登美といえばナガスネヒコ
やっぱり出雲のにおいがする。





注連縄で囲まれたところが千田の御池(ちだのみいけ)。

天のまな鶴が落とした稲穂を倭姫が種つぎをした場所。
秋には見事な米ができて、その種を日本全国に広めた、
そういう事らしい。持統天皇は、内宮に行った記録は
ないが、ここに数日留まったという伝えがあるらしい。




天井石と奥に鏡楠の切り株。

大正末期に見つかったもので、天井石の下から鏡や勾玉が出て来たらしい。






宮に戻った。磯部の御神田。







御田植祭は、毎年6月24日、8時10分頃から始まり17時頃終わる、
と書いてある。最後に「神事は遅れがち」という注釈まである。








日本三大御田植とは、 伊雑宮香取神宮住吉大社の祭りをいうらしい。 







よく飛鳥が日本の原風景と言われるが、ここにも原風景がある。



伊雑宮の所管社で、800mほど離れた処に
佐美長(さみなが)神社というのがあって
両社を結ぶ道を「御幸道(ごこうみち)」と言い、
神が両社を行き来したという。

佐美長神社の主祭神は大歳神。
倭姫に稲穂を落としたあの天のまな鶴のことだという。
穂落(ほおとし)が大歳になったという伝承もあるらしいが
やっぱりスサノオの子の大歳だと思う。

元々はスサノオを祀っていたという言い伝えもあるらしい。
とすれば、
アマテラスとスサノオ姉弟が御幸道を往来していた
というこになる、かも。