2017年秋旅

淡路国分寺、淳仁天皇陵、舟木石神座

おのころ島神社から数キロほどだったか、南東に行くと淡路国分寺がある。国分寺は、水害の憂いなく、交通至便で、国府に近いなどの条件を満たす場所に建てられたらしい。このお寺には、約3mの釈迦如来像がある。像背部に暦応三年(1340年)の墨書があ…

おのころ島神社

南あわじ市にある、おのころ島神社。おのころ島伝承地のひとつ。この鳥居の全容を撮ろうとしたが、あきらめた。不自然にでかい。広い平地の中にそびえていた。往古、まわりは海でここが島だったらしい。天上の神々の命によりイザナギとイザナミが天沼矛(あ…

洲本城

淡路島へ来た翌朝、洲本市の東端にある洲本城へ登った。眼下の街から、ちっちゃい天守がかろうじて見えていた。洲本港。地図を見ると大阪湾だった。そうなのか。ほぼ頂上まで車で行ける。三熊山というらしい。この手前の駐車スペースに停めた。かすかに紀淡…

銭形砂絵と加麻良神社

松山市から一気呵成に淡路へ行こうと考えていた。が、高速ばかりでは退屈で、そうだあれを見ようと高松自動車道大野原ICで降りた。それは琴弾公園というところにあった。観音寺市。寛永通宝を模した砂絵。あった。がこれではさっぱりわからない。あきらめ…

松山城と一草庵

古事記の国生み神話では、最初に生まれたのが淡路島次いで生まれたのが「伊予之二名島」、今の四国だということになっている。伊予之二名島(いよのふたなのしま)には四つの名前がついている。二名なのに四つあるのは、男女一対でひとつに数えた、などの説…

大山祇神社と村上海賊

通称「しまなみ海道」を通って次の目的地へ。途中、瀬戸田パーキングで休憩。ここは尾道市の生口島(いくちじま)という島の南端。生口島という名は、邪馬台国が魏に献じた生口(せいこう=奴隷?)をこの地に留めたから、という由来など諸説あるらしい。生…

楯筑遺跡と造山古墳(岡山県)

前方後円墳が出現しだしたのが3世紀半ば過ぎでその時期を古墳時代の始まりとした。がそれ以前からこんもりとした古墳と呼んでいい墓が造られていた。けれど、それらの墓を古墳と言ってしまうと時代区分がくずれるため墳丘墓と呼ぶらしい。倉敷市にある楯築…