伊勢・外宮


伊勢・外宮の神職、渡会(わたらい)氏の祖に天村雲命がいる。
「あめのむらくも」スサノオヤマタノオロチの尻尾から取り
出した剣、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同じ名称だ。

この神剣は、スサノオからアマテラス、ニニギと渡り、倭姫に
よって伊勢神宮に祀られた。その後ヤマトタケルに渡ってから
伊勢には戻っていない。今は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と
して熱田神宮に祀られている。

渡会氏の祖、天村雲命はニギハヤヒの孫ということであるから
渡会氏は出雲、物部系ということになる。




外宮先祭。
先に外宮、そのあと内宮に参るのが伊勢参拝のしきたり。
何故か? アマテラスが「そうしろ」と言ったらしい。

が、このしきたりに従って外宮に来たわけではない。
内宮には行かなかった。テレビや本などで数々見て
行った気になってしまっているので外宮に絞った。






丹波から迎えた豊受大御神を祀る、と書いてある。

丹波国造の海部家と渡会氏は、天村雲命つながりの同族。






同一視した。これは、アマテラスを祀る内宮よりも外宮の権威を
優位に立たせようとしたもので、外宮と内宮の対立が見て取れる。







外宮の千木(ちぎ)は外削ぎ、鰹木(かつおぎ)は9本。普通は男神を表す。
ちなみに内宮は内削ぎ、鰹木10本、女神だ。

単に外宮と内宮をわけるためだという。

片削ぎの千木は内外にかはれども、誓ひは同じ。伊勢の神風

度会朝棟という人の歌らしいが、
千木の違いに託して、なんとなく嘆きを感じる。





参拝は外宮が先だが、遷宮は内宮が先。
何故か? アマテラスが「そうしろ」と言ったらしい。








伊勢神宮にのみ「祭主」という神職がある。(斎王ではない。)
初代は鎌足の父、中臣御食子だという。以降、中臣氏が世襲する。








この鳥居をくぐると写真は撮れない。

外宮は物部・渡会氏、内宮は中臣・荒木田氏
そして全体の祭主も中臣、という図式になる。







明治2年、東京遷都に先立って明治天皇が外宮、内宮を参拝した。
そして大正天皇昭和天皇今上天皇天皇の参拝記録はこれだけ。

持統天皇の伊勢行幸が有名だが、神宮には立ち寄っていないというのが定説。






壬申の乱の折、この地の豪族は天武・大海人についた、筈。
海人族の渡会氏もそうだった筈。中臣氏は近江朝についた。

勝利した天武が神宮を作った。その初代祭主が中臣御食子
どうもちぐはぐだ。






壬申の乱後、中臣が復権したのは確かだが、それは持統天皇の力。

持統は天智の娘で百済系、天武は高句麗もしくは新羅系と思われる。
天武系の天皇は9代続いた。その間持統の影響が続いていたと考え
れば、天皇参拝の記録がないのもうなずける。

あるいは、伊勢神宮は天武が自らの氏神を祀ったいわば私的な神社
だったという説もある。天武の氏神、もちろんアマテラスではない。




伊勢津彦という風の神がいる。伊勢の地名由来の神ともいう。
元の名は出雲建子(イズモタケコ)命、またの名は櫛玉(クシタマ)命。
伊勢の地を追われて、諏訪に行ったということでタケミナカタと同一視
されることもあるらしい。

スサノオが自らのことを「アマテラスの伊呂勢(兄弟)」と言った。
だから伊勢とは出雲の兄弟、分派だという説もあるが、少し苦しい。
けれど、いずれにしても出雲とのつながりを暗示している。

もうひとつ、ニギハヤヒのこと。
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」という長い名前もある。
「天照」「火明」「櫛玉」、誰にでも比定できる名前だ。



最後に神宮で気になっていたこと、それは遷宮の費用。
前回(2013年)の遷宮費用は550億円だそうだ。
内330億円は自己資金、220億円が寄付だという。

自己資金には、神社でよく見かける「神宮大麻天照大御神のお札)」
の初穂料(代金?)がある。その売上の半分程度は神宮に納められる
仕組みになっているらしい。年間約35億円。遷宮は20年に一度・・



このあと、猿田彦神社へ行った。