島根県

山陰旅(番外編)

今回の旅は、まず西を起点にして東に戻るルートにした。最初、西の端は物部神社にしようと思っていたが時間的にきつそうだったので、断念した。他にも、おろちループや「砂の器」聖地など色々考えてみたが、そう欲張れるものではない。1日目は、午後から回…

山陰旅12(久米神社)

「イザナミは比婆山に葬られた」と古事記にあるらしい。イザナミを祀る久米神社の下宮は、比婆山の麓にあった。山頂にある奥の宮には行ってません。この由緒書きにある「コムル」とは、そもそも何語なんだろうか。なぜ、イザナミは出雲に葬られたのか?いた…

山陰旅11(足立美術館)

今回は神社めぐりの旅であったが、ここは予定に入れていた。絵は見ても分からないが、庭園を見たいと思っていた。観光バスのコースに入っているようだ。細部まで手入れされている。ふつう借景というと、それこそ借り物という感じがあるがここは、一体感があ…

山陰旅10(揖夜神社)

山陰旅3日目は揖夜神社からスタートしました。揖夜は、「いや」と読みます。出雲国風土記では「伊布夜社」いふややしろ日本書紀では「言屋社」いふやのやしろとなっているそうです。出雲街道沿いにあります。天気のいい朝は、空気が凛としています。イザナ…

山陰旅9(松江城)

山陰旅2日目のラストは松江城です。信長、秀吉、家康に仕えた堀尾吉晴と、その次男忠氏(ただうじ)が関ヶ原の戦功により、最初は出雲富田(月山富田城)に入った。その後、吉晴、忠氏親子は、ここ亀田山に新たに築城したのが松江城。忠氏は城の完成を見ず…

山陰旅8(佐太神社)

いうまでもなく、今回の旅も大体の行き先は決めていた。神社は、由緒と祭神で選んだ。が、ここ佐太(さだ)神社だけは建物で決めた。大社造りの本殿が3つ横に広く配された姿を見たかった。「わっちゃ~」この位置から工事中の素屋根が見えた。事前に調べて…

山陰旅7(六所神社)

神魂神社のあと、六所神社に行きました。途中、真名井神社前に迷い込んで、寄るかどうか少し思案したが初心貫徹、六所神社に向かった。六所神社は出雲国府跡に隣接している。車はここに停めた。出雲平野は広い。国府が造られたのは、700年代に入る少し前…

山陰旅6(神魂神社)

須我神社の奥宮行きを断念して、神魂(かもす)神社に来た。ここは・・・ひとことで言うと・・・「日向と出雲」かな。オオクニヌシに国譲りを迫りにきたけれど、オオクニヌシに心酔しこの地に住み着いてしまったというアメノホヒが建てたと伝わる。イザナミ…

山陰旅5(須我神社)

熊野大社でいい汗をかいた後は、神魂神社に行くつもりでした。が、快走路を走っていて須我神社の標識を見て、寄ってみました。それにしても、出雲の道は走りやすい。ところどころ少しのアップダウンはあるが、信号がない。片側一車線の贅沢な道が交差すると…

山陰旅4(熊野大社)

神々を見送って万九千神社を発って熊野大社に来た。よくはわからないが、出雲大社とともに出雲国一宮ということである。紀州人にとって熊野といえば世界遺産の熊野古道と熊野三山。ここ出雲の熊野と、紀州の熊野とはどういう関係なのか?あるいは無関係なの…

山陰旅3(万九千神社)

山陰旅1日目の昨夜、立ち寄った居酒屋のマスターと話ができた。出雲国造家は今でも雲上人であるということが実感を伴って伝わってきた。山陰旅2日目の最初は万九千(まんくせん、或いは、まくせ)神社です。万九千という名称は、巻瀬川が由来らしいという…

山陰旅2(稲佐の浜・日御碕神社)

荒神谷遺跡から稲佐の浜に向かった。止むだろうと思っていた雨はしとしと続いていた。稲佐の浜。アマテラスの命を受けたタケミカヅチがオオクニヌシに国譲りを迫ったとされる場所である。出雲大社を背後に感じ、この弁天島が屹立しているのを見なければ、ご…

山陰旅1(荒神谷遺跡)

むかし、母親が語ってくれたのか、あるいは絵本をながめていたのか。幼い頃、無意識の領域に宿ったままの「イナバの白兎」や「天岩戸」が50数年を経て突如として意識の領域に蘇った。2年ほど前の事。あの得体のしれない物語は何だったのか、その一点で私…