桜井茶臼山古墳



桜井市にある桜井、あるいは外山(とび)茶臼山古墳を探して歩いた。
線路の向こう、左側にあるこんもりした所がそうだろう。







線路を渡ってすぐ、琴平神社。鳥居が低い。

琴平、いわゆる「こんぴらさん」は大物主を祀る。
ここからすぐ北に三輪山大神神社がある。





跡見橋。曰くありげな名前だと思いあとで調べた。

神武東征の折、この場所で後ろを見返した、らしい。






このネーミングにも惹かれた。が謂れは分からない。







入口らしきところを見つけた。

ここは大王墓と言われながら、宮内庁の管轄外。





前方後円の後円部だ。







全長207mで、4世紀初めの頃らしい。

平成22年に国内最多の銅鏡81枚が見つかって
卑弥呼と関係、巨大権力を示す、などと騒がれたらしい。





登り始めたが、見た目より急坂で、引き返した。






前方部(南側)に回ろうと、歩いた。

専用の橋を架けている家が何軒かあった。





迷ったが、無視して歩いた。







このあたりは外山鳥見町、ということか。






頭二文字は「登美」にまちがいない。

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)
つまり長髄彦の拠点はこの辺りだったのか。(異説あり)





おそらく幹線道路であろう道の下を通る。






小さなトンネルをくぐる前に上を見ると標識があった。







幹線道路(国道165号線)沿いにある宗像神社。






なぜ、こんなところに宗像が?

一説には、高市皇子の母である尼子郎に関係するという。
尼子郎(あまこのいらつめ)は胸形善徳の子で、その氏神を祀った。
あるいは、神武東征にまでさかのぼる説もあるようだ。




神社から少し西に行くと古墳の前方部が見えた。






後円部とは違う説明書きがあった。







やっぱり三輪山か、となんとなく思った。


被葬者はナガスネヒコあるいはニギハヤヒ
というのが地元の言い伝えらしい。

三輪山の西から北にかけて箸墓古墳西殿塚古墳など
大きな古墳がいくつかあって、どの古墳が誰かは別にして
崇神、垂仁、景行天皇陵などとされている。

この外山茶臼山古墳三輪山の南にあって古い順に
箸墓(モモソ姫?)、西殿塚(崇神?)、茶臼山(?)
となっている。

はて、被葬者は誰?