二条城


今年3月、二条城を見たいと思って京都へ行った。


昼飯を食おうとウロウロしていて本能寺に出くわした。






繁華街にある。

当寺のホームページを拝見すると、本能寺を介して
信長と天皇家、それから種子島とのつながりが書かれている。





ここで昼飯を食ったわけではなく、二条城に向かう途中にあったのでパチリ。
宮本むなし」がチェーン店とは知らなかった。






この前の道を素通りしたことは何回かあった。







なっぱり人気どころのようだ。







半数は外国人と思えた。いや、それ以上かも。






この二条城は徳川家の二条城。
江戸幕府の幕開け(将軍宣下賀儀)と幕切れ(大政奉還)の場所。







俗に二条城とよばれる建物は他に
足利義昭織田信長豊臣秀吉のものがあったらしい。







信長の城館は、本能寺の変で焼かれた。嫡男信忠の討ち死にの場所。







二の丸御殿。

もちろん中に入った。廊下は鴬張り。よく鳴いた。
大広間は、大政奉還の図のイメージほど大きくは
感じなかった。が建物全体は想像以上の広さだった。




外国人は、簡素な佇まいに日本を感じるのだろうか。






二の丸庭園。







本丸に入る櫓門。







和服姿は日本人だった。








天守閣があったとは思っていなかった。
そういう城ではないというイメージがあった。







天守閣跡から内堀を見る。







この屋根の形状は珍しいと思った。若干、上方向に膨れている。







本丸と二の丸の間を通る。



徳川家二条城は、1603年落成。
1614年の大阪冬の陣では家康の本陣が置かれた。
1634年、家光が30万の兵を引き連れて上洛、入城。
次に入城したのは14代将軍家茂で、1863年のこと。
約230年の時を経て、城は荒れ果てていたらしい。

そのことや、幕末の動乱、明治の紆余曲折を考えると、
今こうして見られるのは、すごいことだなと感心する。