2015年(8)和歌山市・高野・當麻


5月。


和歌山城の南、三年坂通りを挟む小高い丘に
岡山の寺鐘堂と呼ばれる建物があります。
その丘からお城を見るとこんな感じです。









紀州徳川第五代藩主、吉宗の時代に設置されたとあります。







梵鐘は、大阪夏の陣で豊臣が使用していた大砲を
のちに改鋳したものらしい。







大正10年まで時報として使用されていたようです。










そうそう。
5月には高野山3回登りをしてました。

徳川家霊台の内部特別公開。







高野山開創1200年記念大法会の最終日。







国道371号線での高野登り。
この井戸を覗いたことありません。








奈良の葛城市にある當麻蹶速(たいまのけはや)塚
というのを見に行きました。

当麻寺周辺を歩いていると、ほとんどの家に注連縄が。
當麻寺の前にある菅原神社で行われる「天神講」由来
だとか。








目的の塚です。相撲開祖當麻蹶速と説明書きにあります。
第11代垂仁天皇の時、出雲の野見宿禰と相撲をとって負けた。


野見宿禰出雲国造家のようで
出雲が勝ったという話になっている。
蹶速は地元の人に愛されていたようで、
説明書きの最後には
勝者に拍手をおくるのもよい
だが敗者にもいっきくの涙をそそぐべきではないか
と書かれていました。




そのまんまの名前をつけたお酒があるようです。









和歌山市駅周辺を歩きました。色々あるものです。
南方熊楠生誕地。田辺の人だと思っていましたが
生まれは和歌山市のようです。
東大時代の同窓生には漱石や子規、そして秋山真之らがいたそうです。









吉宗が創建したという紀州藩の跡。
今は酒造会社の建物です。
この会社は南方熊楠のお父さんが創業した会社です。








神社がありました。
水門(みなと)神社は蛭兒神(戎様)
吹上(ふきあげ)神社大己貴神(大国様)を祀るようです。






古事記における神武天皇の兄、五瀬命崩御地は
男之水門で、この地であるという伝承があります。







日本書紀では雄水門で雄たけびしたが
亡くなったのは竈山ということになっているらしい。




次回は6月です。

平成27年5月