長野旅(5)善光寺
その前に、
昨日訪れた森将軍塚古墳のことが少し分かってきた。被葬者は
健五百健命(タケイオタツノミコト)だというのが通説らしい。
この命は神武の子、神八井耳(カムヤイミミ)の孫かその後で
あの善光寺平を望む地に埋葬されているのはヤマトの王族だ。
そしてもう一つ。
名前が気になる)を祀っているという。
の后らしい。
諏訪に落ち着いた真相は案外この辺りにあるかもしれない
・・・ちがうか。
さて謎の善光寺。
その仏像を本田善光が拾ったのは600年頃らしい。
ちなみに物部守屋は587年に討たれている。
どうも、つながらない。
蘇我馬子の娘、刀自古郎女(とじこのいらつめ)で、出家
して尊光上人と称したとある。
馬子と守屋の仏教対立の折
守屋が尼僧3人を虐待するという事件があった。
大本願が尼寺というのは、
この事と関係するような気がする。
ともかく
蘇我氏は
高句麗系仏教を知っていた、という説もある。
それも、百済から仏教が入ってくる以前から。
長野のキーワードのひとつに、高句麗系渡来人を挙げた。
とにかく、本尊「一光三尊阿弥陀如来」は
絶対秘仏で誰も見たことはない、らしい。
本田善光という人は、安曇族の大海氏だという説にも出会った。
長野には安曇野というところがある。
海人族ではあるが、長野に安曇氏がいたことは間違いないようだ。
福岡の志賀島から日本全国に散らばったらしい。
先に訪れた須々岐水神社では「お舟祭り」というのがあって、
こんな山奥でおかしいなぁと思っていたが、
安曇族は海であろうが山であろうが「船」なのだ、と分かった。
「遠くとも一度は詣れ善光寺」 うまいキャッチコピーだなと思う。
それよりも、善光寺といえばこれ、でしょう。
一つの光背を背に三尊が立つ「一光三尊像」は
法隆寺にもあるようだ。
このあと、戸隠に向かった。
平成27年10月