2015年(6)吉野・九度山


5月のはじめ。奈良の吉野へ行きました。

まず宮滝というところです。
吉野歴史資料館をのんびり見て回ったあと歩き始めました。

宮滝というところは、
神武天皇がヤマト入りの直前に仮宮を造ったところ、そして
大海人皇子離宮があったところ、そんなイメージです。

ですがこの説明文には、そんなことは書いていません。
応神天皇雄略天皇の名前は出てくるのですが。








歴史資料館のすぐ西にある十二社神社。
神武天皇の仮宮比定地のひとつらしい。








写真左に見える道をてくてく歩いて行きました。







途中、民家の庭と思われる処にあった立て札。
見づらいですが、弓削皇子(ゆげのみこ)の歌が書かれていました。
弓削皇子天武天皇の皇子で、万葉集に8首の歌が残っているそうです。



滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむとわが思はなくに





桜木神社まで行って引き返し、
車で丹生川上神社中社まで行きました。








ここも神武天皇の伝承が多くありました。








天武天皇持統天皇の吉野行幸という話は
何故かリアリティが感じられません。








そして5月5日。九度山町の真田祭。


この人たちは、まぎれもなく祭り見物です。







すぐ近くの河原にも人。
この人たちは、あまり祭りに興味がないのでしょうか。








このご婦人(足元だけですが)はご近所の方と思われます。
「今年の行列には、長野の上田からも来てくれた」
というような話をされていたように思います。


毎年この台を持参しているのでしょうか。







初めて見た真田祭でした。








この方が上田の殿さまでしょうか。
分かりませんが、なんとなく風格あります。








殿さまは自分で旗など持ちませんが
真田十勇士といえども家来は自分で旗を持つのですね。









雑賀衆もいます。


真田と雑賀?

雑賀衆は秀吉の紀州攻めで滅亡したと思っていたら、
雑賀孫一という人は、伊達政宗に取り立てられ
大阪夏の陣では豊臣側の鉄砲隊を指揮して活躍したらしい。

雑賀孫一って、どうも謎の人物(あるいは複数人)のようだ。


まだ、5月が続きます。

平成27年5月