長野旅(4)川中島



森将軍塚古墳を離れ、遅い昼飯を食い(やっぱり蕎麦がうまい)
長野市に入った。地図には「八幡原史跡公園」と記されている。


平たく言えば、川中島古戦場跡。









川中島の戦いは5回あったというのが定説で
ここ八幡原の戦い(第4次)が一番大規模で壮絶であったらしい。









この辺りに信玄が座っていた、かもしれない。
低い土塁がいくつも残っていて、リアルな感じがあった。









大隅の無念・・・


穴を覗くと向こうが見えた。










乱世に咲いた美学・・・











川中島といえばやはり・・・







謙信


そして信玄



実は、川中島という所がどの辺にあるのか、
はっきりしたイメージを持っていなかった。
(もっと端的に言うと、知らなかった)

ここに来てみて
武田家は随分と北に攻め上ったんだなぁ
と強く感じた。




正直、ちょっと寄ってみるか、という感じで来たが
実に面白いところだった。


川中島の北には犀川、そして南には千曲川が流れている。
その千曲川を渡ったところに海津城跡がある。

まったく予定にはなかったが、ここの史跡を見て
「行かねばなるまい」と思ったので、行った。






海津城は、信玄が山本勘助に命じて急ぎ築城したとある。
初代城主は高坂弾正









北には八幡原、南には謙信が陣を張った妻女山がある。









きれいに整備されているが、古も感じる。









この城は徳川期に入って松代藩の城となり、
初代藩主として真田信之が入城した。名も松代城と改められた。


真田信之は幸村のお兄さん。
関ケ原では東軍と西軍に分かれた二人でした。






すぐ近くに、真田邸があると分かったので寄ってみた。









1864年に建てられ、明治以降は真田家の私邸として使われたらしい。
せっかくなので拝観料を払って、中を拝見。









きれいな庭があり、ほっこりした。
この辺りも、来年は賑わうのだろうか。



この日の後半は、思いもよらず
川中島の戦から真田家への流れとなった。

こういう旅もいい。


平成27年10月