長野旅(3)森将軍塚古墳



松本市から長野道を北上して、長野市方面に向かいます。



ここは、たしか梓川SAからの眺めだったと思います。

向こうに見えるのは、3千m級の山々らしいが
どうも、そんな風には見えない。だから逆に、
この道の標高の高さを知らされる。







森将軍塚古墳を見に行った。
千曲市森というところにあるから森将軍塚らしい。

それらしき駐車場に入る。
ふれあい公園、古墳館、県立歴史館などがある。
施設は休み(月曜)だった。

で、古墳はどこだろうとウロウロしていると
古墳までバスが走っていると書いてある。
が、今日は施設が休みなので運休とも書いてある。






うん?山の上になにか異様なものがある。









どうも間違いない。山の上にあった。
だからバスなのか、と納得した。









麓をウロウロしながら、迷った。

日程を変えて、バスに乗るか。
いや、そんなに高くはない。歩いて行ける距離だ。
でも、そもそも歩ける道はあるのか。





あった。「歩道入口」の看板を見つけた。
昼食時をすぎて腹も減ったが歩くしかない。

バス道がクネクネ通っているのに対して
歩道はほぼ直線的に登る。
ところどころで、このバス道と出会う。









中程で眺望がよくなった。










見えてきた。最後の上り。










4世紀後半の前方後円墳
善光寺平を見渡せる場所に造ったようだ。


4世紀後半は、古墳時代前期にあたる。
近畿以外の地に造られた前方後円墳としては
割合早い時期だと思う。

そして、4世紀といえば、謎(空白)の4世紀。
三輪(崇神)王朝から河内(応神)王朝に遷る時期だろうか。

それにしても、葬られている信濃の豪族って何者なんだろう?





元々の地形の故に、少し曲がった格好になっている。









工事中だった。


三角縁神獣鏡の破片も見つかっているようだ。



前方後円墳物部氏を関係づける説があったと思う。
信濃は、出雲神、高句麗系渡来人、蘇我氏
それに、物部氏もキーワードに加える必要がある。


次に向かったのは、時代は下って戦国時代の史跡です。


平成27年10月