長野旅(9)諏訪大社上社


諏訪大社上社、本宮(ほんみや)と前宮(まえみや)。
名前からすれば本宮がトリだろうと軽く思って先ず前宮に行った。


国道沿いに新しそうな白い石鳥居が立っていた。
内心、あまり期待できないかと思いながら鳥居をくぐった。
その瞬間、いやここは違うぞ、もしかして諏訪大社の本命
はここかもしれないと感じた。








ゆっくり見渡した。
鳥居をくぐったすぐ右に小さな祠があった。溝上社。
祭神はタケミナカタの母ヌナカワヒメと記していた。








諏訪大社には、大祝(おおほうり)と神長官(じんちょうかん)
という神職があって、上社の大祝は諏訪家、神長官は守矢家が
務めた。たぶん、大祝は名誉職で神長官は実務のトップという
ような存在だったと思われる。前宮は大祝の居館だったらしい。


神長官の守矢家は前宮と本宮のほぼ中間にある。

守矢家と物部守屋と守屋山、そしてモリヤの地。
このキーワードを探りだすと前に進めないのでやめる。







十間廊という建物が見えてきた。








御頭祭という神事がある。
昔は、鹿の頭を七十五頭献じ、ここに供えたという。
今でも、剥製の鹿頭を供えるらしい。


前宮は茅野市にある。
縄文のビーナス」と呼ばれる国宝の土偶が見つかったところだ。
御頭祭は縄文の名残なのか。
いや、やはりユダヤの話をもってこないと
説明がつかないのでは、と思ってしまう。






内御玉殿。
諏訪明神の祖霊がやどる・・・」と書いてあった。
祖霊? ミシャグチ神だろうか。








さらに奥へ、一般道のようなところを歩いてゆくと
本殿がある。諏訪大社に本殿はないと聞いていたが
前宮本殿と書いてある。








御柱が、こんな所にある。









スサノオではないが、なんとも清々しい。







諏訪大社は元来、前宮だけだったという説を見た。
ここに来れば、肯ける。









立ち去り難い雰囲気があった。









本宮に向かった。ここは東参道。








どうも、前宮の雰囲気とは違うようだ。









布橋とよばれる廊下と二の御柱








諏訪大社の公式サイトを拝見した。
「出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて」
という文章はあるが、不自然にも主語がない。
そして別のところに、諏訪明神とか諏訪大神とかの
表現がみえるのみ。








御柱を運ぶ際に、柱の前後につける「メドテコ」と呼ばれる木。
縄に足をかけてぶら下がり柱をゆらす。見る者を圧倒するのは
容易に想像できる。







大国主社。ここには、
「諏訪大神の御父神」とか
「諏訪大神 ”健御名方神” 」と書いてある。








守屋山の方角にある四の御柱
公式サイトに「御山」とか「神体山」と書いてあるのが、
守屋山のことだろう。








幣拝殿。
実に違和感がある。西向きに建っている。
守屋山は北にあって、写真右手にあたる。 
こうして立つと東に位置する前宮を拝ん
でいるとしか思えない。


神体山である守屋山を無視している。
それに、守屋山には物部守屋を祀っている。

前宮を拝んでいる、
というのが理に適っていると思う。






これは、上社本宮の神紋で諏訪氏の家紋。


下のは、下社秋宮でみた神紋で金刺氏の家紋。
まったく気づかなかったが、四本足と五本足の違いがある。









雨模様の予報だったが、神のご加護があった。


神無月。出雲では神在月
全国の神々が出雲に集まるという。

けれど諏訪の神は
「もうこの地からは出ない」
と誓ったので、出雲には行かない。
だから、諏訪に神無月はない。
こういう話は面白い。

タケミナカタは、相当な頑固ものだ。

平成27年10月