長野旅(10)守屋神社


諏訪大社の4社を回り、訪問予定先はクリアした。
さて、帰りの道順を決めようと地図を眺めていて
「高遠」という文字を見つけた。
なんか、見覚え聞き覚えのある所だし、このまま
中央道に乗っかるのも味気ないし、と思いナビに
高遠城址」を設定した。

茅野市から高遠に抜ける国道152号線を走る。
くねくねのひっそりした山道でふとナビを見る
と「守屋神社」と表示されている。もう少し先
の道沿いにあるようだ。寄るべし。




それはやはり、国道沿いにあった。
守屋山の東麓に位置すると思われる。









鳥居の扁額を見て驚いた。
はっきり物部守屋と書いてある。


左にある「物部連比良麿」という人は
島根の太田市にある物部神社神職
石見国造金子家の筋で明治の人らしい。





この神社の脇に、守屋山への登山口があるようだ。
守屋山の頂には守屋神社奥宮がある。



やはり守屋は物部守屋か。でも、守矢はちがうだろうな。
いや、「矢を守った」とすると物部一族かもしれないな。
そうすると、やはりタケミナカタだけが異質だな。




ふと、タケミナカタの別名「南方刀美」を思い出した。


刀美、トミ、登美?
登美といえば、ニギハヤヒ長髄彦ではないか。

ん?
守屋山と諏訪大社の、あの微妙な関係は
ニギハヤヒ長髄彦の関係に似てやしないか。
ニギハヤヒはもちろん物部。
長髄彦タケミナカタであってもおかしくはない。




本殿、と思われるが、登らなかった。



高遠城址」が思いもかけない穴場に導いてくれた。




平成27年10月