2015年(9)和歌山・海南・波太神社



6月はじめ。

和歌山市内のとあるお寺を探しながらバイクで走っていて、
途中、住宅街にある木立に例のごとく吸い寄せられたのです。


伊久比売神。イクヒメ?知らん。







由緒書きを探したけれど見つからなかった。
しばらくウロウロしていると、声をかけられた。

男:何かお探しか?
私:イクヒメってどういう人かと
男:幾久しいヒメというような・・・
私:そうですか

男は、この木に○○が見えるという。(○○は何か忘れた)
注連縄の下あたりに見えるやろ、ホラ、としきりに言う。
私には見えない。帰りたくなってきたが、男はついてくる。





大きな楠が三本あって、県の天然記念物になっているようだ。


鳥居まで戻った。
その脇にある石碑について蘊蓄を語ったあと

男:お名前は?
私:は?

どこから来たか聞かれることはあっても
名前など聞かれたことはない。

男:名乗る程のものではない、ですか?
私:・・・まぁ

イクヒメはどうやら市姫のようでした。
ひどく印象に残る神社となりました。





探していた総持寺








西山浄土宗で1450年の開創。
街中にありながら、そこそこ広い境内を有しています。







17世紀前半の頃は、禅林寺永観堂)・光明寺とともに
西山浄土宗三本山のひとつに数えられた時期があったとか。








即座に理解できるような言葉ではありません。
調べてみて、今ようやくおぼろにわかってきました。

あっ、自分が、写ってる・・・







生石高原というススキのきれいなところがあります。
その麓にある小川八幡神社







神社の所蔵文書には
欽明天皇の御子(540~570)宇津尊嶋より大和ノ国比木領に移り給い・・・」
と書かれているようですが、この宇津尊がわかりません。

987年、石清水八幡宮の別宮となった、という記録もあるようです。






近くの小川沿いにあるお家。発想と建て方がすごい。





帰り道。
屋根の向こうに「出雲大社和歌山教会」という看板を
見つけました。どいういう活動をしてるのだろう。









大阪阪南市にある波太(はた)神社








垂仁天皇の皇子、誉津別命(ほむつわけ)のために 
出雲で鵠(クグイ、白鳥)を捕まえて献上したのが 
天湯河板挙(アメノユカワタナ)、鳥取造となり
そのユカワタナの祖、角凝魂命(ツノコリ)を祀る。
こういう感じだと思います。







信長が紀州の雑賀を攻めたとき
ここに本陣をおいたらしい。







印象に残る拝殿です。


この神社の東側一帯が「和泉鳥取」という地だと思います。
この神社には、このあとも何回か訪れています。


6月つづく、です。

平成27年6月