長野旅(8)諏訪大社下社



長野旅3日目の夕方、上田から諏訪に入った。
明日は、朝から諏訪大社を巡って帰る予定だ。



さて、どういう順番で回ろうか、決めていなかった。
帰りの道順で考えると、北にある下社から南の上社
に行くのがいいだろう。で、下社を回る順番は?

夜、情報を得た。
  今は秋だから神様は春宮ではなく秋宮におわす。
  そして、「万治の石仏」は春宮に隣接している。

最初に行くのは春宮に決めた。




翌朝、予報は雨模様だったが、朝日が差し込んでいた。








下社は基本的に、
タケミナカタの妃「八坂刀売命(ヤサカトメ)」を祀る。

ヤサカトメは謎の女神で諸説あるが、安曇地方に
綿津見神(ワタツミ)の女神だという伝承がある。
タツミは安曇氏の祖だ。







ヤサカトメは
ニギハヤヒに随伴した「天八坂彦」の系統だという説もある。
いずれにしても「八坂」といえばスサノオを連想する。








下社には、毎年2月1日に秋宮から春宮へ、
8月1日に春宮から秋宮へ遷座する御船祭と
いうのがあって、ここでも船がでてくる。
ヤサカトメはやっぱり安曇氏なのだろうか。









下社の神職(大祝)は、信濃国造の後裔、金刺氏。
ヤマトの流れを汲む氏族で、ここが腑に落ちない。
いや、出雲の風景と似ているかもしれない。








少し塀が傷んでいる。








ここは、古の雰囲気を感じられる。








境内左に入ってゆくと万治の石仏がある。










岡本太郎がこの石仏を絶賛したという。
たしかに、好きそうだ。








万治3年(1660年)に造られたそうで
春宮の大鳥居を作る際の逸話が残っている。








頭部は一度落下したため、支柱を入れて修復してある。
その頭(首)が伸びたという話は、本当らしい。








テレビか何かで見た記憶があった。ここにあったのか。
下馬橋というらしい。御船はこの橋を渡るという。







秋宮に来た。









春宮とは雰囲気がまるで違う。








社殿は春宮と似ている。
が、境内に居てあまり感じるものはなかった。


なぜ、四社あるのか。
元々別々にあった土着神を一緒にしたのか。
それとも、理由があって分けたのか。







鹿島社。
なぜか、タケミカヅチを祀っている。



善光寺平はヤマトで、松本平は出雲
という図式が頭から離れない。

タケミナカタは外部から諏訪に来たかもしれないが、
土着のヤサカトメを娶って諏訪を治めた。
そしてヤマトが攻めてきたときは、
孫娘を嫁に出してまで松本平を守った。

そんなイメージが浮かんできたが、何もわからない。
わからないまま、上社に向かった。



平成27年10月