松山城と一草庵


古事記の国生み神話では、最初に生まれたのが淡路島
次いで生まれたのが「伊予之二名島」、今の四国だと
いうことになっている。

伊予之二名島(いよのふたなのしま)には四つの名前
がついている。二名なのに四つあるのは、男女一対で
ひとつに数えた、などの説があるようだが、その名は
 A 伊予の愛比売(えひめ)
 B 土佐の建依別(たけよりわけ)
 C 阿波の大宜都比売(おおげつひめ)
 D 讃岐の飯依比古(いいよりひこ)
で、AとB、CとDが対であるらしい。
ともかく、
四国を代表する名前が「伊予」だったのかもしれない。


愛媛県松山市。人口51万あまりの四国最大都市。
というより、やっぱり坊ちゃん、正岡子規道後温泉かな。

ここはおそらく松山ロープウェイ商店街という通り。







ありました。松山城ロープウェイのりば。

平日、雨模様の朝。閑散としている。





と思いきや、乗り場は混雑。
最初のゴンドラには乗れず。二つ目に乗れた。







となりのリフトはお休み。







朝もやの中、突然あらわれた。想像以上の規模。






いい佇まいだなと思った。






この石垣の下は、歩きたくなる。







う~ん。やっぱり綺麗だ。






本丸が近づいてきた雰囲気。






戸無門という所を抜けて振り返る。
結構高いところにあるが日本三大平山城のひとつらしい。

平山城とは「平野の中にある山や丘陵等に築城された城」らしいが
素人には山城との区別がつかない。




天守が見えてきた。
あちこちで話し声が聞こえたが、日本語は聞こえてこない。







あ、おばちゃんが・・・。







現存12天守のひとつで、大変人気の城らしい。







そんな人気があるとは知らず来てみたが・・・大変よかった。

1602年、秀吉の子飼だった加藤嘉明が築城。
その嘉明がこの地を「松山」と名付けたらしい。






お城をあとにして、こういう所に来た。






これは何かというと、熟田津(にきたつ)の碑。
あの万葉集の歌が原文で彫られている。







この説明書きにある661年1月14日は、斉明天皇68歳のとき。
同年7月24日、筑紫朝倉宮で崩御したらしい。

この時、中大兄皇子も同行している。とするとヤマトは空っぽ?
ほんとうにそうなのか日本書紀?と思ってしまう。
663年、白村江で敗れた倭軍とは、ヤマトではなく九州王朝
だとする説に惹かれる。




熟田津の碑がある護国神社の隣にあった、一草庵







実は、正岡子規より種田山頭火の句に惹かれる。
俳句なのかと思うが、惹かれる。







にしても、放浪の末、この松山で終焉を迎えるとは。



うしろすがたのしぐれてゆくか