おのころ島神社




南あわじ市にある、おのころ島神社。おのころ島伝承地のひとつ。
この鳥居の全容を撮ろうとしたが、あきらめた。不自然にでかい。

広い平地の中にそびえていた。
往古、まわりは海でここが島だったらしい。






天上の神々の命によりイザナギイザナミが天沼矛(あめのぬぼこ)
で海面を「こをろこをろ」とかき回す。その矛先から滴り落ちた塩
が固まってできたのが淤能碁呂島(おのごろじま)。







矛(ほこ)は元々武器だったのだ。
なぜこの二柱に矛という武器を持たせたのだろう。
というより、この国ができる前に矛があったのか?
矛は、「矛盾」という言葉が表しているように、片手で持つ武器で、
もう片方の手は楯(たて)を持つことが前提のものだ。という事で
矛は短いのだ。天の浮橋から海面に突き刺すなら長い方がいいのに・・・






日本書紀セキレイという鳥が登場するらしい。
セキレイが尻尾を上下に振った姿を見て二柱の国生みが始まったとか。
それより、右にある「東宮遥拝」の石柱が気になる。東宮とは、どこ?

この紅白の紐は願いを込めて握るもの。決して引っ張ってはいけません。
一人で来た人、二人で来た人、それぞれ握り方があります。





ご神木が横たわっていた。








ここオノコロ島でイザナギイザナミは次々と国生みをした。







最初に生まれたのが淡路島。


国生みの一番目がなぜ淡路島なのか、これが気にかかる。

淡路の海人族が伝えた「島生み神話」が
記紀に取り入れられた結果だという説があるが、それよりも
ヤマト王族のルーツが淡路にあったという見方に魅力を感じる。

神武東征というのは
神武、幼名狭野尊(さののみこと)が淡路の佐野から
大阪の泉佐野まで行った話と、九州から畿内に入った応神天皇の話が
合成されてできたもの、という面白い説をどこかで見た。