銭形砂絵と加麻良神社


松山市から一気呵成に淡路へ行こうと考えていた。
が、高速ばかりでは退屈で、そうだあれを見よう
高松自動車道大野原ICで降りた。


それは琴弾公園というところにあった。観音寺市
寛永通宝を模した砂絵。






あった。がこれではさっぱりわからない。






あきらめて帰りかけた時、背後の山に車で登れる入口を発見。
見えた。そうそうこの景色。






かろうじて、寛永通宝






ここに書かれた言い伝えの他にいくつか伝承があるようだ。
ということは、「謎の砂絵」ということでいいのでは。







再び高速に乗ろうと走っていて異様なものを発見。
しばらく行って、やっぱり気になって引き返した。

駐車場らしきところにあった看板。
式内社、四国最古社。そうきたか。







道から見えた異様なものとは、この鳥居。
三つ鳥居。三輪鳥居ともいわれ、奈良の三輪が発祥だろうか。







大己貴と少彦名。出雲神と三輪鳥居の組み合わせ?






たらたらと坂を上って振り返る。







途中、こんな小さな祠がいくつもあった。
讃岐にある式内社24座を祀っているらしい。







四国で出雲や三輪のイメージを感じるのは意外だった。







そして、橿原神宮の遥拝所というのも初めて見た気がする。
神武を崇拝するというイメージはどこからきているのだろう。


四国最古社という根拠はないように思えるが
大己貴、三輪、神武が混在しているのが面白い。


そういえば
大己貴(大国主)が、病の少彦名を湯につけて助けたところが
熟田津石湯(にぎたづのいはゆ)つまり今の道後温泉だという
伝承があることも知った。


四国は奥深いなぁと思えてきた。