淡路国分寺、淳仁天皇陵、舟木石神座




おのころ島神社から数キロほどだったか、南東に行くと淡路国分寺がある。







国分寺は、水害の憂いなく、交通至便で、国府に近い
などの条件を満たす場所に建てられたらしい。







このお寺には、約3mの釈迦如来像がある。像背部に
暦応三年(1340年)の墨書があるがこれは修理を
表すもので、像は天平仏だと地元では信じられている
と説明書きにあった。







この一帯は、淡路島で一番広い平野(三原平野?)と思われる。









国分寺から南西に向かう。淳仁天皇陵。

淳仁天皇天武天皇の孫で、舎人親王の七男。
藤原仲麻呂の絶頂期に擁立された。




孝謙上皇道鏡コンビが台頭するに至り
仲麻呂は殺され、天皇は淡路に流された。

淡路廃帝(あわじはいたい)という呼び名があるそうな。哀れ。
孝謙天皇重祚して称徳天皇となるも、実質的に淳仁が天武系
最後の天皇だったと思う。



ここから一気に北へ向かった。
淡路市弥生時代の舟木遺跡というのがあるらしい。
鉄器の製造跡があって、邪馬台国の動向との関係性
が指摘されるなど注目の遺跡のようだ。


その遺跡の中央部にあるとされる石上(いわがみ)神社を探した。
地名だけを頼りに行くと、幸いにも標識があって何とか発見。
興味深いことが書かれている。

箸墓を中心に、東の伊勢神島、西の舟木石上がほぼ同距離にあるらしい。





女人禁制。本当にそうだった。
というのは、この鳥居の右わきに女性用の参道があった。







鳥居をくぐるとほどなく見える、磐座。







振り返る。左に見えるチェーンが女性用参道の終点。







説明書きに、日の神天照皇大神を勧請と書いてあったが
造船技術を持った舟木氏の祭祀場だったという説に頷く。


邪馬台国と淡路、ヤマトと淡路
やっぱり国生み最初の地には
それなりの理由があるように思える。

この後、山を下って帰路に就いた。
ほどなく左手に野島断層保存館が見えていた。


2017年秋旅おわり。