徳勒津宮を探して散歩

仲哀天皇は徳勒津宮(トクロツノミヤ)から九州に旅だったという話がある。その宮跡を探す散歩に出た。
 
 
散歩しているといろんな発見がある。
面白い名前をつけたもんだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
しばらく川沿いを歩く。のどかでいい住宅街だけれど、
川の水が、美しくない。

 
 
 
 
 
 
 
 
美しくない川にも鳥はいる。(写真では綺麗に見えるなぁ)

 
 
 
 
 
 
 
目指す場所は、線路の向こう側。

 
 
 
 
 
 
 
おお、ここは昔なつかしい操車場ではないか。
今も現役のようだ。

 
 
 
 
 
 
 
住宅街で迷い、結局大和街道に出た。
この店が目印で、また南下する。

 
 
 
 
 
 
 
あった。右端の車の前。

 
 
 
 
 
 
 
この石碑の最後には、天保三年良月と彫られていた。1832年。

 
 
 
 
 
 
 
仲哀天皇二年とある。漢字ばっかりで日本書紀の原文かと思ったが
「書記曰」とあるからそうではないでしょう。

 
 
ツヌガに皇后以下を留めたまま南国を巡狩し
紀伊国に到り徳勒津宮に入る。
このとき熊襲が背いたので
鎮定しようと徳勒津より九州へ向かう。
 
とあるらしい。
 
その後、仲哀天皇神功皇后は九州筑紫で合流。神懸かった皇后のお告げに反対した天皇は急逝。その日からジャスト十月十日で応神天皇が生まれる・・・
と物語は続く。
 
 
今日の散歩コース
           ___目印の店___←___大和街道
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               |●宮跡  |
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                     +踏切
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            大門川