交野天神社

交野天神社、畏まっては、かたのあまつかみのやしろ、と呼ぶらしい。
雨の中、住宅街に迷い込んでしまい、見かけたおばさんに道を尋ねた。
あまつかみのやしろとは言いづらいので
「あま神社は・・・」と言いかけると
「ああ、かたの神社はね・・・」と答えが返ってきた。
「・・・んで、そこをちょっと進むと、てん神社です」
地元の人は、かたの神社とか、てん神社と呼ぶようである。
 
 
教えてもらったとおり進んでようやく到着。

 
 
 
 
 
 
 
一の鳥居の前に立つと、すでに空気が変わった。
左の高い石碑には「桓武天皇先帝御追尊之地」
右の石碑には「樟葉宮旧蹟」と刻まれている。

 
 
 
 
 
 
 
写真は少し明るく映っているが、少々不気味なほど薄暗かった。

 
 
 
 
 
 
 
石臼だろうか。珍しい。

 
 
 
 
 
 
 
二の鳥居。狛犬さんが傾いている。
突き当たって左に入ると三の鳥居が見えてくる。

 
 
 
 
 
 
三の鳥居と奥に拝殿。

 
 
 
 
 
 
 
拝殿下の石に文字が刻まれていた。
残念ながら読めない、いや文字は読めるが意味がわからない。

 
 
 
 
 
 
 
 
本殿を覗く。いつもながら少々気が引ける。

 
 
 
 
 
 
 
奥が本殿、手前が八幡神社

 
 
 
 
 
 
 
 
本殿右に貴船神社への参道があって、またもやぬかるんだ道を歩いた。
階段下に楠葉宮跡の石碑がある。

 
 
 
 
 
 
 
奥に見えている貴船神社あたりが、継体天皇楠葉宮跡とされている。
 
 
 
 
 
 
 
この貴船神社の横にある石碑は樟葉宮跡となっている。
樟葉なのか楠葉なのか、・・・どちらでもいいということなのか。

 
 
 
 
 
 
 
貴船神社をあとに、来た時とはちがう道を歩いてゆくと鳥居があった。
鳥居には「宝永4年」と刻まれていた。
この年(1707年)の10月に「宝永の大地震」があった。鳥居には9月
とあるので、地震の直前に鳥居が建てられたことになる。

 
 
 
 
 
 
 
 
鳥居から樟葉宮跡を振り返る。

 
住宅街にありながら、
一歩境内に入ると一瞬にして時がさかのぼります。
 
第26代継体天皇が樟葉で即位したのは507年。
この天神社は787年、桓武天皇が父光仁天皇を祀ったのが始まりという。
 
今私の手元に「謎の大王 継体天皇」という本があります。
その出自や崩御の有り様など、文字通り謎の天皇のようです。
 
 
いい雨でした。