ヤマトタケル

ヤマトタケルは、古代史にあって結構な有名人です。
仲哀天皇の父、ということは応神天皇の祖父ということになります。
古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と書かれていて
ストーリーも記紀では相当に異なるようです。
 
ヤマトタケルは死して白鳥になったという伝説は記紀ともに同じだけれど
白鳥の飛行ルートを日本書紀では、
亀山市の能褒野(のぼの)、
御所市の琴弾原(ことひきのはら)、
そして羽曳野市の古市として
その3ヶ所に陵墓を造ったとされています。
 
 
 
右に民家の屋根があり、そのちょっと左奥に白い看板らしきものが見えます。
ここが大和琴弾原稜です。

 
 
 
 
 
 
 
 
いや~、探しました。やっと道標を見つけました。(写真、拡大してください)

 
 
 
 
 
 
 
 
失敗写真で見えにくいです。
日本武尊琴引原白鳥稜」と彫られています。琴弾が琴引となっています。

 
 
 
 
 
 
 
宮内庁管轄のようです。

古事記で、父の景行天皇に恐れられたほどの悪童に描かれている。
日本書紀では、父に従順な英雄として描かれている。
 
 
 
 
 
 
 
 
道標を見た時どんなところかと思ったが、綺麗に整備されていました。

 
 
 
 
 
 
 
 
少しだけ裏に回ってみました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
朱い柿と青い空。綺麗でした。

 
 
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 倭しうるはし
 
傷を負ったヤマトタケルが能褒野で詠んだ歌
古事記に載っているそうです。
 
 
ヤマトに「倭」という字が使われているのが気になります。