山陰旅4(熊野大社)

神々を見送って万九千神社を発って熊野大社に来た。
よくはわからないが、出雲大社とともに出雲国一宮ということである。

紀州人にとって熊野といえば世界遺産熊野古道熊野三山
ここ出雲の熊野と、紀州の熊野とはどういう関係なのか?
あるいは無関係なのか?そして出雲大社との関係は?









広くて、ゆったりしていて、包み込まれる感じがした。









前を流れるのは意宇(おう)川。この辺りには
ここ熊野大社を含めて「意宇六社」とよばれる神社があって
出雲国造家と深い縁があるという。









随身門と奥に見えるのが拝殿。祭神はスサノオ
それにしても注連縄がすごい。








熊野大社の数あるお祭りの中で一番有名なものは
鑽火祭(さんかさい、或いは、きりびまつり)。
そのお祭りの舞台となる鑽火殿。

そのお祭りは、熊野大社出雲大社の関係を示しています。
お祭りの内容は次の通り。(公式ホームページを参考にしています。)

出雲大社宮司が「古伝新嘗祭」に使用する燧臼(ひきりうす)と
燧杵(ひきりきね)<火をおこすための道具>を受け取るために
熊野大社を訪れます。
この燧臼、燧杵を毎年熊野大社から授けることになっています。
この授け渡す儀は「亀太夫神事」と呼ばれ、
出雲大社が納める餅の出来ばえについて

下級神官である亀太夫が、色が悪い、去年より小さい、形が悪いなどと
苦情を口やかましく言い立てる変わった神事。


つまり、熊野大社の方が偉い、という図式です。


鑽火殿の内部。







境内。








今まで見たのは「下の宮」とよばれるところで
意宇川に沿って上流にゆくと「上の宮」の跡があります。








案内板がなく少し探しましたが、見つけました。








まさに神域、という感じです。








ここでやめておけばよかったのですが、
右奥に山に分け入る登り口があって、つい歩を進めてしまいました。
このあたりはまだ歩きやすいところです。








次第に道なき道になり、急勾配が続きました。









上の宮の説明版です。
紀州熊野との関係も書かれていました。(拡大して読んでください)









登り切ったところです。









ちょっときつかったけれど、来てよかった。


「日本火出初社(ひのもとひでそめのやしろ)」
つまり火の発祥地と伝わる神社でした。


平成26年11