山陰旅3(万九千神社)

山陰旅1日目の昨夜、立ち寄った居酒屋のマスターと話ができた。
出雲国造家は今でも雲上人であるということが実感を伴って伝わってきた。





山陰旅2日目の最初は万九千(まんくせん、或いは、まくせ)神社です。
万九千という名称は、巻瀬川が由来らしいというところまで分かったが
その川がどこなのかわからない。ネットで調べると、奈良県桜井市出雲
の初瀬川がひっかかってくる。なんとも。








右に万九千神社、左に立虫神社とある。境内に入っても区別がつかない。
立虫神社の境内に万九千神社が建っているという関係らしい。
立虫神社には本殿があるが、万九千神社にはない。








この鳥居正面にあるのは、立虫神社の拝殿。
祭神は、イタケル、オオヤツヒメツマツヒメ
三柱ともスサノオ御子神で、紀伊伊太祈曽神社の祭神と同じだ。








境内右側にある万九千神社の社殿。真新しい。
今年の10月に建て替え遷宮が行われたばかりらしい。








万九千神社の祭神は、スサノオオオクニヌシスクナヒコナ
社殿の裏手にアマテラスが居た。ここにも居た。
後世、誰かがスサノオの居るところに片っ端からアマテラスを祀った
のではないかという気がしてきた。








万九千神社の神等去出祭(からさでさい)に興味があってここに来た。

稲佐の浜に続々集まった神々は、出雲大社で神議(かみはかり)に臨む。
唐突だが、戦略的合議ともいうべき会議だったのだろうと考えた。
スサノオオオクニヌシの時代はそういう時代だとイメージしている。

神議を終えた神々はここに集まる。神等去出祭では、社殿の扉を閉じて
神職が「お立ち」と3回唱える。そのあと神々の酒宴が始まるらしい。
この酒宴を直合(なおらい)という。「直に合う」と読める。

長く堅苦しい会議は終わった。
さあ、場所を変えてぱっーとやりましょう
という懇親会だったのではと想像してみた。
懇親会のあと、また来年も会いましょうなどと挨拶を交わし
神々はここから帰って行ったのです。








神社のすぐそばに斐伊川が流れている。
神々が帰国の途につくにはすこぶる便利な場所だったという。


2日めの朝は、八雲立つ、で始まりました。
こういう情景ではないのかな?


平成26年11月