刺田比古神社

和歌山城の岡口門を出て、三年坂を横切ったあたりにこの石碑が立っている。 
後ろには岡公園が見える。

 
 
 
 
 
 
石碑をすぎ、岡公園に沿ってまっすぐ南へ。
突き当たりを右に折れ、すぐさま左に曲がると
刺田比古(さすたひこ)神社に着く。

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
鳥居をくぐった処。
突き当りは岡の里古墳と呼ばれているところで
6世紀頃の人骨や土器が出土しているらしい。

 
 
 
 
 
 
本殿。
道臣命(みちのおみのみこと)が祀られている。
道臣は神武東遷で先鋒を務めたとされる命で、大伴氏の祖とされる。

甲斐国一宮浅間神社誌」の「古屋家家譜」に
道臣命紀伊国名草郡片岡之地で生まれ
父が刺田比古であると記されているらしい。
 
さらに、その祖先はニニギ降臨の際に先鋒を務めた
天忍日命(あめのおしひのみこと)となる。
なんとも、先鋒が好きな血筋のようである。
 
 
 
 
 
 
 
本殿に向かって左奥に氷川社があり、スサノオを祀っている。
どうも天津系と国津系が混在しているような気になる。

 
 
若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る
 
これは724年、聖武天皇が玉津島に行幸された折
お供をした山部赤人が詠んだ歌である。
 
このとき建てた、「岡の東離宮」跡がこのあたりだという伝えもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日は、県立博物館の地下駐車場に車を入れていたので
折角だし、初めてだしと思って神社のあと博物館に入った。

予想外に、というと申し訳ないが
展示物の興味深さになかなか前に進めなかった。
10メートル進むのに1時間かかったかもしれない。
 
 
平成26年7月21日