山陰旅1(荒神谷遺跡)

むかし、母親が語ってくれたのか、あるいは絵本をながめていたのか。
幼い頃、無意識の領域に宿ったままの「イナバの白兎」や「天岩戸」が
50数年を経て突如として意識の領域に蘇った。2年ほど前の事。

あの得体のしれない物語は何だったのか、その一点で私の興味は古代史に向いた。
つまり私は、つい最近まで日本の成り立ちを何も知らなかったということになる。

書物やネットで得られる情報を背景に、山陰をまわることにした。
山陰といっても、出雲、松江、米子周辺のごく一部を巡っただけである。




ひたすら高速道を5時間あまり走って(もちろんSAで昼飯は食った)
最初に着いたのは荒神谷遺跡。









もっと山深いところを想像していた。
弥生時代の集落があったらしい。









この平坦な場所のわずか奥の斜面に銅剣などの発掘現場はあった。









この小さな空間が日本古代史を揺さぶった。ちょうど30年前のことらしい。









銅剣は「出雲型」と呼ばれていて、地元産とされている。








銅鐸は意外に小さく、銅矛は北部九州産とされている。
遺跡内にある博物館で、銅矛のレプリカをさわったが
ずっしりと重く、とても武器として扱うことはできない、
つまり、祭祀用だという気がした。










銅剣の制作時期は弥生中期後半とされている。
紀元前後の200年間くらいだろうか。邪馬台国以前とされている。

赤茶けて見えるのは2千年ハス。
推定2千年から3千年前の種子が植えられたものです。








「ひかわ銅剣の日」なんの日だろうと調べると、
この遺跡が発掘された7月12日を記念しているらしいのです。









この地にはあきらかに
権力、あるいは勢力というのか、ある種の「力」があったと思える。
場所といい、時代といい、スサノオが居たとしてもおかしくはない。


山陰の旅がしばらく続きます。


平成26年11月