山陰旅6(神魂神社)

須我神社の奥宮行きを断念して、神魂(かもす)神社に来た。
ここは・・・ひとことで言うと・・・「日向と出雲」かな。



オオクニヌシに国譲りを迫りにきたけれど、オオクニヌシに心酔し
この地に住み着いてしまったというアメノホヒが建てたと伝わる。








イザナミを祀っているという。今まで見てきた出雲の神社は
割り合いオープンな感じだったが、ここは違う。木々に覆われている。








今はイザナミを祀るが、当初からそうであったかどうかは定かでないという。
オオクニヌシに心酔したのであれば、出雲の神を祀った筈である。
時を経て、日向の神を祀るようになったのだろうと思われる。









現存する最古の大社造り。(国宝)
アメノホヒは、出雲国造家の祖神とされている。
とすれば、このあたりが出雲国造家の本貫地ということになる。









659年、斉明天皇のとき国造家に大社造営の命が下ったという。
どういういきさつか興味がある。
大化の改新による国造制度の変化が関係しているのか
あるいは、乙巳の変による蘇我氏滅亡が関係しているのか。










798年、国造家は出雲大社(当時は杵築大社)に移住したとある。
造営の命を受けてから140年後のことである。
この時のことを地元では「神魂の分家が引き継いだ」というらしい。
本家が出雲に行き、分家がこの地に残ったという意味だろう。










アメノホヒは、オオクニヌシに心酔したのではなく
日向から出雲に送り込まれたスパイだった、と夢想した。









のち、出雲族オオクニヌシ)は日向族タケミカヅチ)に敗れる。
が、アメノホヒ一族は出雲国造家として生き残る。
古代、国造家は祭祀を司るだけでなく、
あらゆる権力をもったその土地の支配者だったという。










いっときスサノオが日向を支配した。そして日向は反撃にでた。
敗れた出雲族は大和や諏訪に逃れた、という仮説もある。









写真が拙いせいもあるが
この参道は奥が霞んで見えるくらい長い。



それにしても、今に語り継がれる
スサノオオオクニヌシニギハヤヒ
出雲の神々には底知れない力を感じる。


平成26年11月