松尾寺

 
昭和天皇実録は24年5ヶ月をかけた。
日本書紀は約40年といわれている。
比較してもはじまらないが、どちらも大変な労力である。
 
天武天皇の皇子である舎人親王が自らの厄除け(42歳)と
日本書紀の完成を祈願して創建されたという松尾寺。
 
 
 
北総門。

 
 
 
 
 
 
 
北総門からまっすぐのびる108段。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
時折、強い風が吹く日でした。

 
 
 
 
 
 
 
 
三重塔と神霊石の大岩。

 
 
 
大岩にある石仏。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本堂への石段。
どうみても、やや斜めに登っている。

日本最古の厄除霊場と紹介されている。
が、私はお寺や神社を巡り始めてから
「最古」や「最大」といわれるものは
おおかた複数存在することを学んだ。
やはり、検索してみるといくつかでてきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三重塔より本堂を見る。

舎人親王は、長屋王とともに政権運営をしていたが
やがて藤原氏寄りになって、長屋王を自害に追い込んだらしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
行場。拡大すると見えるが、中央上からひとすじの水が落ちている。
初心者用の行場でしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
南総門。ここから法隆寺につながっているようです。約2キロ。

 
 
 
 
 
 
 
 
本堂横にあった立て札。実は、これが最大の謎でした。

一休さんと何か関係があるのだろう、でその場は終わった。
いつものように、帰ってから調べてみた。
 
で写真をもう一度よく見ると、
一休さん」の横に「夏季心身修練教室」とある。これだった。
小学3年~6年生を対象にした2泊3日の修行。通称「一休さん」。
座禅、瞑想(阿字観)、五体投地までメニューにあった。
あ、そうそう、男子に限られています。
 
そして、その夏の修練教室を修了して希望すれば、
除夜の鐘を撞くことができるらしい。
この立て札は、その子達の集合場所を示していると思われます。
 
実は(ここまで引っ張りましたが)
訪問したのは平成24年12月31日のことです。
つまり大晦日で、当然写真もその時のものです。
 
 
 
 
 
 
少し、暗くなってきました。

藤原色に書き換えられる前の
天武天皇が望んだであろう日本書紀
どういうものだったんだろう。
 
 
 
 
 
 
松尾寺でした。

 
 
大人の心身修練教室を探してみようかな。
 
平成24年12月31日撮影