応神天皇陵と誉田八幡宮

 
去年のネタです。(平成25年9月)

考古学名で誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)というらしいが
俗に応神天皇陵と呼ばれている。羽曳野市です。
宮内庁の看板にある陵名は、惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)
となっている。ややこしい。

 
 
 
 
 
長さでは仁徳陵に及ばないが、体積では日本一だとか。
緻密な測量を行った結果でしょうか。

 
 
 
 
 
 
まあ、でかいことは、でかい。

 
 
 
 
 
 
5世紀初頭の築造とされているようです。
高句麗で見つかった好太王碑に記された、倭の朝鮮出兵の頃です。

 
 
 
 
 
 
隣接して誉田八幡宮があります。
隣接してるといっても、道がわからず、うろうろした記憶があります。
この入口は、南大門に通じます。

 
 
 
 
 
 
誉田八幡は「こんだはちまん」と読みますが
応神天皇の本名である誉田別尊(ほむたわけのみこと)と関係がある
のは明らかです。

 
 
 
 
 
 
拝殿。
日本最古の八幡宮応神天皇陵と同時期だから?)と称しているらしいが
もっと後の建立というのが定説のようです。

 
 
 
 
 
 
本殿。

 
 
 
 
 
 
 
応神天皇陵につながる道。

 
 
 
 
 
 
 
その途中にあったと記憶している摂社、当宗神社(まさむねじんじゃ)。

 
 
 
 
 
 
祭神はスサノオとある。説明書きを読んでも訳がわからない。
が、この神社は重要な気がする。

 
 
 
 
 
 
 
橋(放生橋)の向こうが天皇陵。

 
 
 
 
 
 
 
社宝に「神功皇后縁起」というのがあるらしい。

 
仲哀、神功、応神、・・・誰か謎ときしてくれませんかね。