2014-05-06 応神天皇陵と誉田八幡宮 大阪府 去年のネタです。(平成25年9月)考古学名で誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)というらしいが俗に応神天皇陵と呼ばれている。羽曳野市です。宮内庁の看板にある陵名は、惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)となっている。ややこしい。 長さでは仁徳陵に及ばないが、体積では日本一だとか。緻密な測量を行った結果でしょうか。 まあ、でかいことは、でかい。 5世紀初頭の築造とされているようです。高句麗で見つかった好太王碑に記された、倭の朝鮮出兵の頃です。 隣接して誉田八幡宮があります。隣接してるといっても、道がわからず、うろうろした記憶があります。この入口は、南大門に通じます。 誉田八幡は「こんだはちまん」と読みますが応神天皇の本名である誉田別尊(ほむたわけのみこと)と関係があるのは明らかです。 拝殿。日本最古の八幡宮(応神天皇陵と同時期だから?)と称しているらしいがもっと後の建立というのが定説のようです。 本殿。 応神天皇陵につながる道。 その途中にあったと記憶している摂社、当宗神社(まさむねじんじゃ)。 祭神はスサノオとある。説明書きを読んでも訳がわからない。が、この神社は重要な気がする。 橋(放生橋)の向こうが天皇陵。 社宝に「神功皇后縁起」というのがあるらしい。 仲哀、神功、応神、・・・誰か謎ときしてくれませんかね。