008全国に轟く紀州流土木工法


細々と「わかやま歴史物語」を追っかけている。ストーリー008の表題は

全国に轟く紀州流土木工法!亀池と井沢弥惣兵衛の遺徳を偲ぶ



亀池には昔行ったことがある。調べると2010年1月、随分と前だった。
久しぶりに訪問した。ここがメインのエントランスだろう。
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「生石高原県立自然公園・亀池」というのが正式名称で、花見もできる。
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池のほぼ中央にある島に渡ることにした。
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島には双青閣という建物がある。
鉄製のつり橋で木材は使われていない。一人でもよく揺れた。
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大正時代、紀州徳川家第15代当主の頼倫(よりみち)が
和歌浦東照宮の下に建てたもので、時を経て今ここに移築されている。
ごく普通に見えるが登録有形文化財
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つり橋に揺られながら撮った亀池。
周囲約4キロの灌漑用池で、1710年に3か月間で作ったらしい。驚異的な速さ。
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井沢弥惣兵衛は1663年、今の海南市豪農の家に生まれ
1690年、紀州藩の勘定方に就任したらしい。 
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1696年、弥惣兵衛は土木技術者の大畑才蔵を藩に呼んだ。
その才蔵は紀の川北岸に藤崎井用水路や小田井用水路を造り
この亀池の工事にも関わった。弥惣兵衛47歳、才蔵68歳。 
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弥惣兵衛は、将軍になった吉宗に呼ばれて各地で灌漑工事や新田開発を行ったらしい。
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水辺の石積みを見ていると、当時の息遣いが聞こえる気がした。
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冊子に載っているスポットのひとつ、宗光寺。
左の石柱には「井沢弥惣兵衛 紀州 菩提寺」とあった。
東京千代田区にお墓があるらしい。
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これも冊子にあった資料館。なんでこんな処に?というような場所にある。
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もうひとつのスポット、法然寺。
弥惣兵衛も深く敬った寺、と冊子にありました。
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それまでの関東流と呼ばれる土木工事は
自然を利用(川の流れはそのままに)した工法で
紀州流は流れをコントロール(直線的に治す)する工法だったようです。

水路の高低差を水門によってコントロール
船を上下させる閘門(こうもん)式運河といえばパナマ運河
それができる約180年前に弥惣兵衛は閘門式運河を造ったそうな。

映画「翔んで埼玉」はバカらしくも面白かった。
その埼玉に弥惣兵衛の功績を称える像があるらしい。