宇佐神宮



中津市から宇佐市に入った。 
「USA」はアメリカだとばかり思っていたが
「宇佐」もそうなんだと気付かせてくれた。



すべてがでかい、と思った。







駐車場から境内に入り右手を見る。
鳥居があってその向こうには店が並んでいる様子。







まっすぐ進むと神橋。メインの入り口のようだ。







古墳の外濠のように思えたが、寄藻(よりも)川という川らしい。








大鳥居。








道鏡事件がなければ、宇佐神宮に興味を持ったかどうか疑問だ。

皇位継承問題の舞台が伊勢神宮ではなくなぜ宇佐神宮なのか?
というのが興味の中心だったが、全くの的外れ、だった。






和気清麻呂は、なぜ宇佐神宮に来たのか。








それは元々
道鏡皇位に就くべし」というのは宇佐神宮の神託だったから。








それではなぜ、宇佐神宮がそんな神託を発したのか?







それは道鏡の弟 弓削浄人(ゆげのきよひと)がかかわる。

浄人は、太宰師(だざいのそつ)つまり大宰府の長官の任にあった。
そして浄人は、宇佐神宮のある豊前国司で太宰主神(かんづかさ)の
中臣阿曾麻呂という人物と結託?して事件を起こした。769年のこと。




道鏡事件の発端は概ね以上のようだ。







けれど・・・
称徳天皇道鏡の二人が望んだことであれば、
この1回目の神託で事を進められたのではないか。








なのになぜ、わざわざ清麻呂宇佐神宮まで遣わしたのか。
天皇と法王の意向だけでは事が進まない力関係があったのだろうか。








そして2回目の神託を聞いた称徳天皇は激怒して清麻呂を左遷した。
激怒する相手がちがうし、どうもおかしい。







称徳天皇は、結果的に天武系最後の天皇となった。
天武系を継続したいという気持ちはあったかもしれない。







そして天武系といえば、物部氏と宗像氏がかかわる。
宗像徳善の娘は 天武天皇の妃となり高市皇子を産んだ。

最初の神託を奏上した弓削浄人中臣阿曾麻呂は 
物部氏という同じ根っこをもつ人物のようだ。 






宇佐神宮といえばこの景色。上宮。

祭神は(手前から)
  一之御殿  八幡大神応神天皇
  二之御殿  比売大神(宗像三女神
  三之御殿  神功皇后
とされている。
が、どう見ても真ん中の二之御殿が主だと思える。




調べてみると、祭神はわからない、というのを見た。
八幡宮総本社の祭神はわらないとはいえないだろう 
が、それが本当かもしれないとも思う。







そういえば、この宇佐の地は秦王国のあったエリアだ。
秦氏の祖先は弓月君(ゆづきのきみ)、弓削氏に繋がる。







やっぱり秦氏ゆかりの地と思ったが・・・







帰りがけに気づいた立て札。

このウサツヒコという人は
二之御殿の祭神比売大神の子で宇佐氏の祖とされる。


神話「因幡の白兎」に描かれているワニは和邇氏でウサギは宇佐氏。

最終的に身ぐるみ剥がされた宇佐氏を
大国主が哀れんで宇佐の地を与えた。

あのウサギはウサツヒコだった。

秦氏云々よりもこの話の方が断然おもしろい。