003有間皇子と藤白坂
わかやま歴史物語のストーリー003のテーマは
「悲劇の皇子 有間皇子と藤白坂」
境内の東側に駐車場があって、すぐ横の鳥居から入る。
その時の「熊野懐紙」御宸翰(ごしんかん)は国宝となっている・・・
というようなことが書かれている。
これがその書のようだが、まったく読めない。
鈴木氏は熊野から来た。
境内西側。ここから熊野古道に出る。
境内西の端にある有間皇子神社。
有間皇子5歳。結果的に、人生が決まった瞬間だったのかもしれない。
652年いわゆる前期難波宮完成。
有間皇子は難波に居たのか、それとも?
父の死後、心の病を癒すためと称し牟婁の湯(白浜)に赴いた・・・・・
658年謀反を疑われ有間皇子処刑。19歳。
罠に嵌ったのか、それとも本当に謀反を企てたのか?
処刑地とされる藤白坂。
処刑に関して、斉明天皇がどういう姿勢だったのかは知らない。
有間皇子が詠んだとされる有名な二首がある。
②家にあらば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
処刑に先んじて磐代(いわしろ・みなべ町)の地で詠んだとされている。
が、後世の人物が詠んだという説もあれば
湯治に赴いた時のものだという説もある。
以前、御坊市にある岩内(いわうち)古墳を見に行った。
副葬品が、地方豪族ではあり得ない身分の高さを示していること。
斉明天皇や中大兄が亡くなってから、塩屋氏が自らの土地に
皇子にふさわしい古墳を造ったというのが故森浩一氏の見解らしい。