今回の旅(2)



旅先の宮地嶽神社竜王戦に遭遇した。この記事を見ると第2局だったようだ。
最終の第7局が今日(2018.12.20)から 下関の春帆楼で行われる。
下関に行かなかったら春帆楼も知らなかった。いつにも増して結果が気になる。









さて旅の続き。福岡平野にある神社を巡ってから糸島平野に来た。
古代風にいうと、奴国から伊都国に入った、ということかな。




平原遺跡。前方に見えるのは高祖山。その向こうは福岡平野


平原遺跡一号墳。副葬品には、いわゆる三種の神器がそろっていて
魏志倭人伝の記述「径百余歩」とも矛盾しないという見解などから
卑弥呼の墓ではないかといわれる。けれど現地の説明書きには天照
が埋葬されていると書いてあった。








大宰府政庁跡。
白村江の戦のあと、海側にあったものを今の内陸部に移した
ということらしい。だから九州王朝につながるような遺物がないのか?


菅原道真も「観世音寺の鐘声を聴いた」と書き残している。
日本最古とされる京都妙心寺の梵鐘は、ここの梵鐘と同じ型で九州で造られた。








吉野ヶ里遺跡。とてつもなく広い環濠集落というイメージだった。
けれどその面積は、妻木晩田遺跡の5分の1、纏向遺跡の半分弱だという。
そして、邪馬台国でもなく、九州王朝との関連性もないただのクニらしい。


だけれども、倭国大乱を生き抜いて3世紀に最盛期を迎えたクニ、
弥生時代の約700年間の歴史をもつこのクニが、ただのクニだとは思えない。



つづく