004豪族・紀氏の墓



わかやま歴史物語ストーリー004は

国内最大規模!豪族・紀氏の墓とも伝えられる「岩橋千塚古墳」へ

モデルコースとして紹介されているのは日前宮、岩橋千塚古墳群、鳴滝遺跡など。
なお、紀氏や日前宮のことは複雑怪奇で訳が分からないので、悪しからず。


日前神宮國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)。
総称して日前宮(にちぜんぐう)。

祭神の日前大神國懸大神には、天照大神と同様に神階がない。 
この3柱のみが神階のない(位階を超越した)別格の神とされている。
いったいどういう神なのか?




ニギハヤヒに随従した天道根命(あめのみちねのみこと)が 
日前宮宮司、紀氏の祖とされ、「神別の紀氏」と呼ばれる。








紀氏と天皇家の血を受け継いだのが武内宿祢。
皇別の紀氏」と呼ばれる系統になる。







最近になって、この中央部分の奥に灯篭があることに気づいた。
どうやら建物跡があって、祭祀が行われていたらしい。
この中央部分が、左右より大切な場所だったと思える。

紀氏の系譜を神代までさかのぼると、カミムスヒ、あるいはスサノオ
にたどりつくらしい。ここに祀られていたのは紀伊国に居たとされる
スサノオの子、五十猛命イソタケル)かもしれない。
元々はここにあったらしい伊太祁曽神社の祭神だ。





686年、天武天皇が病気回復祈願のため奉幣を行ったと書記にあるらしい。
そして、その頃に日前神宮があったかどうかは不明のようだ。

天道根命の伝承からし國懸大神ニギハヤヒとも考えられる。 





日前大神は、天照大神と同一視される。それ以上のことは分からない。






名草姫とは、神武に誅された名草戸畔のことだろう。







ちゃんと、天道根命を祀っている。



出雲大社は社殿が南向き、ご神体は西向きなのは有名。
日前宮も社殿は南向きだが、ご神体は東向きだということを知った。






岩橋千塚古墳群。日前宮の東にあって、そう離れてはいない。







直進と書いてあるが、奥まったところをほぼ直角に右へ曲がる。







資料館。松下(幸之助)記念資料館というらしい。







資料館の一階部分を抜ける。向こうのお山は古墳だらけ。







お山の登り口にある石碑。







国の特別史跡が約400基、総数は冊子によると850基を超えるとも。








散歩のときはいつも舗装道路を登るが、この日は横道に入った。







冊子の表現を借りると、豪族「紀氏」の墓域、ということになる。

石梁(いしはり)と石棚がある横穴式石室、ここにしかないらしい。
馬具や鉄槍などが出土した。神別の紀氏も戦をしたのだろうか?





板状の石を根気よく積み上げてある。







他に誰もいなかった。古代を歩いている気分になった。
造墳の期間は100年ほどで、6世紀末に終わっているらしい。
全国的には7世紀中頃まで続くが、何かあったのだろうか?





日本一密集した古墳群でもあるらしい。



紀氏って何?と問われたら、とりあえず紀貫之というだろう。
大豪族ともいわれながら、地味な感じは否めない。
馬子や守屋や不比等みたいに目立つキャラがいないからか。

神階を持たない別格の神を祀り
天皇家に次ぐほどの古い家系を守り続けている紀氏。

あなた方は一体何者なんでしょうか?