お寺の石柱に驚いた


欲しいものがあって、となり町のホームセンターへ行った。
欲しいものはすぐ見つかった。荷物を車に置いて散歩することにした。



国道24号線。
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JR和歌山線が国道の下を通る。
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古そうなお家の向こうにお寺がありそう。
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この屋根と屋根の間にある細長い物。昔、田植えに使った道具では。
✖の前に人が並んで苗を植えては前(手前?)に転がす、だったかな。
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この屋根の造りは何ていうのだろう?
あの道具は何ていうのだろう?




蓮乗寺というお寺があった。
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鼓楼、浄土真宗かな。
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石柱になにやら書いてある。読んで驚いた。
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当寺には1506年霜月二十八日付、
実如上人自筆の御念比(ごねんごろ?)なる裏書のある「方便法身尊像」が所蔵されている。

実如上人は、蓮如の子で浄土真宗本願寺派第9世宗主。
その偉い人から像をもらったということだろうか。

続いて次の文章があった。
また、雑賀五ケ御坊の筆頭である当山には「顕如書状」をはじめ
雑賀一向一揆に関する貴重なる古文書が伝蔵されている。

ちょっと前、わかやま歴史物語で雑賀衆を調べていたので
この文章に驚いた。どういうことなんだろうか?

雑賀五ケ御坊、はじめは雑賀五組を連想したがこの一帯とは地域が違う。
根来寺の南東に位置するこの地域に五つの御坊(道場?)があったらしい。

この寺の住職、門徒たちは石山合戦に加わったという。
根来で作った鉄砲を紀ノ川経由で大坂に運んだかもしれない。

そんな紀州門徒衆や雑賀衆に宛てた顕如の書状が残っているという事だ。
秀吉による太田城攻めの前後の時期のものと思える。
その内容にふれた文章を見つけたが割愛する。すごく貴重だと思う。

うかつにも帰ってきてから気がついた。
和歌山市平井にある雑賀孫一のお寺も蓮乗寺だった。