大宰府と観世音寺
古代の地形から「記紀」の謎を解く
という本を買ったのはアマゾン履歴を見ると2014年1月だった。
古代史について興味深いブログがあって、数か月前から読んでいたが
そのブログの主が冒頭の本の著者だと気付いたのはつい最近だった。
九州二日目の朝一、大宰府に行った。
建物の復元はなく、礎石だけが残る。
むこうに大勢の人が見えた。
付与された権限の大きさから「遠の朝廷(とおのみかど)」とも云われる。
遠目に見えた大勢の人は、修学旅行風の高校生たちだった。
出先機関でありながら「朝廷」と呼ばれていた?
最初に触れたブログの主によると、
この辺りに紫宸殿という字があったらしい。
この史跡のすぐ南にある交差点は今も「朱雀大路」と記されている。
まぎれもなく「朝廷」があったんだろうな、と思う。
この高校生たちは何を学ぼうとしているのだろうか。
隣接する展示館に入った。
館のおじさんと話をした。
地元のものは、ここを「とふろ」と言います。
とふろ、ですか。
6世紀、それ以前のものは見つかっていません。
(天智より前のようだ。)
(天智より前のようだ。)
館内を見ていて、観世音寺が気になったのですが。
ぜひ行ってください。すぐそこです。
日本最古の梵鐘があります。
最古?ですか。
観世音寺に向かう途中にあった。トフロウ、そういうことか。
高校生たちもいた。
真ん中に見える建物は戒壇院。
展示館のおじさんの話によると、
ここは観世音寺の一部だったが今は独立している
ということだった。
開山は鑑真。753年に初の授戒を行ったという。
観世音寺本堂。
着工が670年頃、落慶法要が746年。異様に長い。
こちらは遠足?だろうか。
これが日本最古の梵鐘。国宝らしい。
「最古」と聞いた時、當麻寺を思い出した。たしかあそこも・・・
とんでもない話だ・・・と切り捨てるのはもったいない。
気にはなったが、太宰府天満宮には行かなかった。
法隆寺釈迦三尊の光背銘に「法興元32年」とあるのは有名で
ということでしょうか。