山陰旅9(松江城)

山陰旅2日目のラストは松江城です。


信長、秀吉、家康に仕えた堀尾吉晴と、その次男忠氏(ただうじ)が
関ヶ原の戦功により、最初は出雲富田(月山富田城)に入った。









その後、吉晴、忠氏親子は、ここ亀田山に新たに築城したのが松江城
忠氏は城の完成を見ずに27歳で急死したという。










堀尾吉晴は、備中高松城水攻めの折、清水宗治の検死役を務めた人らしい。










人形ではありません。人間です。静かに動きまわっていました。









松江城主は、堀尾氏3代、京極氏1代のあと
松平氏10代が明治維新まで続いたようです。








不昧(ふまい)公という名前は聞いたことがありました。
松平7代目の治郷(はるさと)のことだと知りました。










現存天守なので、国宝と思っていましたが、重文のようです。
そういえば、国宝化に向けた幟がはためいていました。









様になっています。石垣に溶け込んでいます。
通りすがりに突然「足元、お気をつけなされ」と言われ
ビクついて、つい下を向いてしまったのです。









2日目が暮れようとしていました。


ウィキペディアによると
堀尾吉晴は1604年に豊臣姓を下賜された、とあります。

1615年大阪夏の陣で羽柴宗家が滅亡するまで
諸大名が豊臣姓の使用を続け、
徳川幕府もこれを阻止できなかったらしい。