山陰旅(番外編)
今回の旅は、まず西を起点にして東に戻るルートにした。
最初、西の端は物部神社にしようと思っていたが
時間的にきつそうだったので、断念した。
他にも、おろちループや「砂の器」聖地など
色々考えてみたが、そう欲張れるものではない。
1日目は、午後から回復するという天気予報であった。
荒神谷遺跡に着いたのは午後2時前。降ったりやんだりだった。
稲佐の浜は、しっかり雨降りだった。
日御碕についた頃、やっと雨があがった。
この日は、出雲市に泊まった。
神魂神社が印象深かった。
八重垣神社は予定外で、ブログにも載せていない。
やっぱりここは、他とは違う「客層」だった。
やっぱりここは、他とは違う「客層」だった。
実際足を運ばないと出雲の広さは分からない。
4日目は
大神山神社本社、天の真名井、上淀廃寺跡
大山寺、大神山神社奥宮を巡った。
上淀廃寺跡は予定外ながら、新たな発見だった。
大神山神社本社、天の真名井、上淀廃寺跡
大山寺、大神山神社奥宮を巡った。
上淀廃寺跡は予定外ながら、新たな発見だった。
3泊4日の旅。ブログもやっと終了。
読んで頂いた方々、ありがとうございました。
▼黄泉比良坂。読んで頂いた方々、ありがとうございました。
投馬国は、ツマコク、とも読むそうな。
妻木晩田、朝妻姫、「ツマ」つながりで
投馬国は妻木晩田周辺だったのではと
またまた呑気なことを考えている。
いずれにしても、
出雲抜きで古代史は成り立たない。
妻木晩田、朝妻姫、「ツマ」つながりで
投馬国は妻木晩田周辺だったのではと
またまた呑気なことを考えている。
いずれにしても、
出雲抜きで古代史は成り立たない。